イラク戦争最中の2004年、ボランティアやフリージャーナリストとしてイラクで活動していた高遠菜穂子さんたち3人の日本人が武装グループに拉致されるという事件があった。彼らの要求は、サマワに駐留していた陸自部隊の撤退だった。
首にナイフを突きつけられ、命の危険が迫っていた3人に向けられた日本社会の眼差しは冷たかった。「自己責任」という言葉を投げつけ、「国に迷惑をかけるものは死んで詫びろ」という者まで現れた。「非国民を守る義務は国にはない」と。
この事件の後、香田証生さんが拉致されたときも同じだった。小泉首相(当時)は、「テロには屈しない」と即答し、香田さんが殺害されても平然としていた。そして国民は小泉を支持した。冷酷な世論にさらされた香田さんの遺族が、子どもを失った悲しみを語ることもできず、ひたすら世間に詫び続けたのだった。
日本の世論は武装グループよりも冷酷非道なのか。戦争や差別に反対する素晴らしい感性を持った若者たちを、「自己責任」といって、権力やテロの前に平気で差し出すのが「日本人の国民性」なのか。戦前の治安維持法の反省もなく、再び戦争と圧政に屈して良いのか。
この連載の冒頭で掲げた「宣言文」のように、「二度と戦争は起こしません。いかなる戦争にも反対します」。「戦争に巻き込まれたらどうする」と言われても、「それでも銃は取りません。紛争は話し合いで解決します」と答える。「侵略されたらどうするんだ」と脅されても、「直ちに白旗を掲げ降伏します。日本が戦地になったら避難民になり生き延びます」と返す。
「祖国防衛」の世論に叩かれても、「そんな祖国は持ちません。国境は戦争の結果、侵略の代物です」と答える。「非国民! 日本が負けてもいいのか」と責められたら、「世界に日本への支援と平和的解決を呼びかけます。戦争は外交の失敗、政治の敗北。このような政府を許しません」と叫ぶ。国家主義的な世論とたたかい、正義の世論をつくりだすことこそ、私たちの最大の課題だ。それはマイノリティが生き生きと発言できる多様性のある社会をめざすことである。

石嶺さんと高遠さん

重苦しい話になってしまったが、最後に朗報を2件。前回紹介した元宮古島市議の石嶺香織さんが産経新聞を相手取った名誉毀損裁判が2月28日、勝訴した。東京地裁は「原告の社会的評価の低下や精神的苦痛は大きい」と認め、産経に記事の削除とわずかだが慰謝料の支払いを命じた。
判決は基地や自衛隊配備の是非について判断しているわけではないが、島ぐるみで寄ってたかって潰そうとした孤軍奮闘の女性が、それに押しつぶされることなく復活に打って出たことの意味は大きい。
もう一つは、あの高遠菜穂子さんである。高遠さんは事件後も志を貫き、以来20年にわたってイラクでの人道支援活動に取り組み続けた。2018年に仲間たちと「ピースセル・プロジェクト」を起ち上げ、イラク・クルド自治区に事務所を開設して常駐している。そして今回のトルコ・シリア大地震では、いち早くトルコの被災地に駆け付け緊急支援を開始。避難所をめぐり、ニーズを調査し、オムツや生理品などを配り、現地の市民団体や3000人におよぶボランティアと協力関係を作り支援を広げている。
かつて日本社会から「非国民」と悪罵を投げつけられた女性は、それを笑い飛ばし世界を駆けめぐっていた。

(おわり)