
1966年の静岡県・一家4人殺害事件で、東京高検は3月20日、死刑が確定した袴田巌さんの再審開始を認めた東京高裁決定(3月13日)の特別抗告を断念したと発表した。事件発生から57年、死刑確定から48年、ついに袴田さんの再審開始が確定した。
翌3月21日、大阪市内で開かれた狭山事件の再審を求める市民集会では、入り口に「特別抗告断念」を報じる新聞各紙の1面が張り出され、会場は喜びの声であふれた。
再審開始決定(14年、静岡地裁)を支持する決定を下した東京高裁(大善文男裁判長)は、犯行の証拠とされた血痕のある着衣について、「事件から相当期間経過後に、第三者によって味噌タンクに隠匿された可能性があり、捜査機関の者による可能性が極めて高い」と判断した。検察官はこれを覆せず、特別抗告を断念。正義を求める人びとの世論が検察当局の権力犯罪を許さなかった。
再審が困難なのは、刑事訴訟法に証拠開示の義務が定められていないからだ。袴田事件でも検察官が、無実の証拠を隠し、抗告を繰り返して再審開始を引き延ばしてきた。
狭山事件でも、捜査機関による証拠ねつ造が焦点になってきた。そのため検察官はいたずらに証拠開示を引き延ばし、正常な裁判の進行を阻んできた。再審制度改革と、自白の強要や証拠のねつ造によってえん罪を作り出した警察官を罰する法整備は急務だ。
21日の集会では、石川一雄さんが自宅からオンラインで発言した。いつもはにこやかな石川さんだが、この日は表情がこわばって見えた。袴田さんの再審決定を誰よりも喜びつつ、「次は自分の番だ」という決意がうかがえた。これまでは、「えん罪が晴れるまでは死ねない」と話していた石川さん。今回の発言では「えん罪が晴れれば、いつ逝ってもいい」と悲壮な決意がうかがえた。
市民の力こそ
狭山再審弁護団の指宿昭一弁護士は、「検察が断念したことで、『警察や検察がねつ造するはずがない』という世論が崩れた」と話し、09年に東京高裁の門野博裁判長が行った証拠開示勧告について「新たな再審の時代を切り開いた」とその意義を強調した。
狭山事件は1972年に東京高裁で寺尾裁判長が担当して以来、50年間一度も証拠調べが行われていない。「『自白』は信用できる」ということだけを根拠に有罪を維持してきた。こうした裁判所の態度は、「憲法37条の『迅速な公開裁判を受ける権利。証人を決める権利』、憲法38条の『唯一の証拠が本人の『自白』である場合は有罪とされない』に反するものだ」と批判した。
そして「裁判所は上からの圧力と世論に弱い。証人尋問に向けて裁判所の勇気と決断を後押しするのは市民。再審開始を求める署名は6カ月足らずで48万筆も集まった。この力で再審を絶対勝ちとろう」と呼びかけた。