三浦俊一さん

大阪・釜ヶ崎に住み、日雇い労働者とともに生き、沖縄に通いを続けながら、大阪、兵庫の辺野古行動に参加する三浦俊一さんに話を聞いた。(インタビューは2月18日、聞き手は本紙編集委員会/高崎)

―三浦さんが沖縄に通う思い、出発点についてお話ください

辺野古新基地
    もう許せない

沖縄に行くきっかけになったのは1970年、ベトナム反戦闘争の一環としての沖縄闘争、私たちは「侵略反革命、侵略最前線基地化阻止」を掲げて取り組みました。
沖縄でいろんな事件や事故が起きていることは知っていました。その後、再び沖縄に行こうと思ったのは、辺野古新基地建設が始まってからです。「普天間基地の代替」として辺野古新基地がつくられる。沖縄に新しい軍事基地がつくられる。もうこれ以上の基地建設はダメだと、辺野古埋め立ての開始を機に行くようになりました。
―これ以上の過重な基地負担はダメだということですね
安倍政権時代、日本全体の闘いの起点となる場所であり、そういう人たちが運動を継続している。この運動を、何としても支えていく必要があると考えました。
―オール沖縄をはじめ、運動が継続していることはすごいと思います
沖縄の反戦反基地闘争が継続してきたのは、(前沖縄県知事の)翁長さんが言った「イデオロギーよりもアイデンティティー」。アイデンティティーという中に戦争体験、差別体験に対する沖縄のみなさんの怒りが、凝縮されていると思ったわけです。
―沖縄にはたびたび行かれていますが、当初と今とではどうでしょうか
この前、勘定したら50回以上行っています。初めて辺野古に行ったのは2013年で、ちょうど10年になります。もちろん辺野古の海を見れば、埋立は進んでいます。集まっている人たちの顔ぶれも一部は変わりましたが、ずっと続けて闘っている人たちがいます。みなさん、本当に仲間みたいな感じで迎えてくれます。この人たちがいる限り、終わることはないと思います。
今、新しい戦争体制が進む中で、辺野古新基地反対の闘いがますます重要になっていると感じます。当初は、南西諸島のことなどはありませんでしたが、沖縄・与那国島にも自衛隊の基地がつくられ、奄美、鹿児島も組み込まれています。「普天間基地の移設」としての辺野古基地建設は、じつは辺野古新基地建設であり、自衛隊との共同使用も視野に入っています。
高江の米軍ヘリパッド建設反対闘争をやっていたときに、なぜ高江で急ピッチに工事を進めるのかと考えました。そのとき、すでにちゃんとした見取り図があった。高江、辺野古、普天間、嘉手納、さらに南西諸島と連動しています。今の方が危機感があります。
ソ連が崩壊し、従来の対ソから対中国とシフトを変え、今は完全にアメリカの太平洋戦略、世界戦略に組み込まれています。その下で「日本の防衛計画」が立てられています。岸田首相がアメリカに行き、「わかりました」と約束してきている。一方で国会答弁は空虚で、誰が何を言おうとも南西諸島の基地化と反撃能力の保有を押し進める。憲法9条の中味を、ごっそりと抜き取ってしまう解釈改憲を押し進めています。 

キャンプシュワブ・ゲート前の座り込み=22年11月、沖縄県名護市辺野古

再び悲惨な犠牲が

―南西諸島の自衛隊基地が、戦争の最前線に立たされるのでは
アメリカの戦略の下で戦争ということになれば、12万6千人の避難者が想定されています。米兵、米軍属とその家族は米空母に守られて避難するだろうし、自衛隊が最前線に立たされ、多くの沖縄のみなさんに犠牲が出るのは明らかです。これが「米中戦争」、米国のやり方です。そして、アメリカの軍需産業は莫大な利益をあげることになります。
抑止力という考え方は、大きな国と小さい国との関係ではあるかもしれませんが、矛盾しています。こちらが兵器を一つ持てば、向こうは二つ、三つ四つと増えていきます。さらに、科学・軍事技術の向上に伴って兵器は更新されていきます。日本はアメリカの兵器をどんどん購入することになります。
―日本がどんどん対米従属、追随していけばどうなりますか
アメリカの戦略の中に、きちっとはめこまれてしまった。軍事面だけではなく、政治、経済も。アメリカを中心としたグローバル化は、中国の台頭で自国を守るのに必死になっています。
―中国との戦争を防ぐ沖縄の立ち位置は
沖縄の反戦、反基地の闘いが無くなれば非常に厳しくなってしまう。しかも、保守イデオロギー対リベラルのイデオロギーという面でも厳しい。排外主義がばっこ跋扈するようなことが起きます。
この前、辺野古に行ったときに、辺野古の座り込み、抗議行動に、土地規正法が恣意的に運用されるのはないか、と話し合いました。 (つづく)