
昨春、私はかけがえのない二人の友人を亡くし、その喪失感はまだいえぬままにあります。
回顧展
4月8日、松田妙子さんの遺作から足跡をたどる回顧展「まつだたえこの世界」に参加しました。会場には小学校時代からの作文や絵画が展示されており、それを見て、これを子どもが描いたのかと驚きました。構成のしっかりした立体感や遠近法、躍動感、その芸術性の高さは当時の教師が将来を嘱望したといいます。松田さんのお姉さんが幼少期からの思い出を語られましたが、画才にも文才にも恵まれた利発で多感な少女像が目に浮かぶようでした。摂食障害という病さえなかったらどのように多才さが開花しただろうかと誰もが感じた事と思います。しかしガラス細工のような繊細な感性と不屈の闘病人生は、なんの障害もなく安直にすごした人よりも豊かなものを築いたに違いないと思いたいのです。それはエッセイ集「いつか真珠の輝き」にこめられていました。これは松田さんと親交の深かった僧侶の後藤由美子さんから依頼があって投稿したものです。「冬枯れの心」の章(2015年1月)を紹介します。
「自分ルール」
「今の私の心と生活は冬枯れの荒野のように寒々として不毛です。どんなに寒くても、どんなに体調がわるくても、毎日必ず一時間以上歩きまわり …… 疲れ果てて帰宅しても夜半12時までは暖房をつけてはいけないルール。そんな『自分ルール』でがんじがらめに自分を縛り上げ心も体も悲鳴をあげているのに …… 何が楽しみで生きているのだろうと、常に自問しては、摂食障害という病気に身も心も支配されている現実におののくのです。今の私はただ、押し寄せる毎日を、如何に夜9時まで食べないで時間をつぶすかに腐心し …… 食べ物のことばかり考えて一日が終るのです。夜12時を過ぎてようやく暖房をつけ、生の食パンを水に浸して頬ばりつつ、パンの絵を描きパンの名前を書きつらねます。創作者として表現者として何とみじめなありさまでしょう。今や摂食障害は私の人格を侵略し支配し、私はその奴隷になり下がっています」
松田さんはやっと口にしたパンも飲み込むのではなく吐き出して、ひたすらパンの絵を描き続け朝を迎えるのです。毎日毎日!
彼女の苦行としかいいようのない精神障がいは、8歳での性暴力と家父長制の縛りのきびしい家庭に原因があります。中学生の頃に発症し、当時はこの病気に対する理解が医療においても社会的にもなく、孤独で苦難の連続の50年に渡る闘病だったと、お姉さんも言われています。大鍋に手をつっこむ「食欲」、若い頃のウェイトレスのアルバイトで客の残した食べ物をポケットに入れてトイレでむさぼり喰った経験、大量のジャンクフードを食べては吐き、添加物だらけのノンカロリー飲料を飲み、煙草の煙に巻かれながら睡眠導入剤を4種類も飲んでもなお眠れず、そうやって過ぎていく毎日。私は女性差別が文字どおり女性の命を奪う事実に、松田さんの生涯を通して知りました。松田さんが女性として障がい者として伝えたかった事、残してくれた言葉、その生き様を私は語らずにはおれません。(つづく)