
「昭和の日」(昭和天皇の誕生日)の4月29日、各地で天皇制を問い直す取り組みが行われた。京都市内で開かれた集会では筑波大名誉教授の千本秀樹さんが、天皇制文化とそれに対抗する民衆文化について講演した。(以下、講演要旨/本紙編集委員会)
つくられた日本文化
貧困・格差の拡大による階級分化を恐れる政府は、国家としてのまとまりを維持するためにナショナリズムを強化する。国民統合の武器は国によって様々だ。例えばフランスでは「美しいフランス語」だが、日本では天皇制である。
安倍内閣は2006年に教育基本法を改訂し、「日本の伝統・文化理解教育」の推進を掲げた。「日本文化」の核心は天皇文化であり皇室文化である。それが、さも日本古来のものであるかのように装われているが、その多くは明治政府が政治的に作ったものだ。問題はそれがどのようにして社会に浸透していったのかである。
象徴天皇制と国体論
天皇制には政治的強制と文化的強制の二つの側面がある。前者が治安維持法であり、後者が『国体の本義』(1937年)だ。
美濃部達吉が唱えた天皇機関説を排撃した国体明徴運動の最中で、文部省が編纂した『国体の本義』は多文化主義的な装いをとりながら、工業化が行き詰まったヨーロッパにたいして自然や農業を重視するエコロジカルな日本文化の優位性を説いた。戦後、治安維持法は廃止されたが、『国体の本義』の国体論は象徴天皇制に引き継がれたのである。

戦後も続く皇国史観
国体明徴運動の中で歴史教育を重視した文部省は、当時気鋭の歴史学者を集めて皇国史観に基づく歴史教科書を編纂した。『国史概説』(1943年)である。ここで確立された皇国史観と、それまでの天皇中心主義史観との決定的な違いは、「幕府は天皇が政治権力を委嘱した」として武家政権の存在を認めたことである。実は幕府という言葉は江戸後期まで存在しなかった。ところが、『国史概説』では「鎌倉幕府」、「室町幕府」、「江戸幕府」という呼称に応じた「鎌倉時代」「室町時代」「江戸時代」という、まったく新たな時代区分が登場した。
それまでの「〇〇天皇の御代」を年代順に並べた天皇中心主義の歴史記述は、『国史概説』によって「大和、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、吉野朝(南北朝)、室町、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和」という時代区分に改められ、ここに皇国史観が完成したのである。
もちろん徳川家康は天皇から政治権力を委嘱されたわけではない。源氏の統領として全国の武士団から承認されたのだ。にもかかわらず、今もなお皇国史観に基づく時代区分で歴史教育が行われているのである。
国家神道は戦後廃止されたが、天皇教は現在でも続いている。天皇を唯一の主権者とした天皇制国家はなくなったが、日本国憲法第1条では「(天皇の)地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とされている。これは私たちにたいして大きな精神的暴力を与えている。この暴力性によってほとんどの人が天皇を「日本国民統合の象徴」として受け入れている。
連帯こそ民衆の武器
こうした天皇制文化に対抗する民衆の文化とは何か。文化とは人びとの暮らしのありようのすべてであり、戦争や差別という醜い部分も文化の重要な一部分である。つまり伝統と文化のすべてが誇りうるものではない。伝統も文化も常に作り直していく努力が必要とされるのだ。
「改正」教育基本法では「国と郷土を愛する姿勢」と言われているが、国は人を殺すが、ふるさとは人を殺さない。この相いれない両者を混同することで、愛国心を強制している。「国のために死に、国のために殺せ」と。
こうした国家にたいして私たちはいかに抗していくのか。全国水平社宣言(1922年)が「此際我等の中より人間を尊敬することによって自ら解放せんとする者の集団運動を起こせるは、むしろ必然である」と謳ったように、すべての人がお互いを尊敬しあう、そのような人間と人間との結びつき、すなわち「連帯」こそ民衆の文化であり武器なのである。