2005年第1回大阪水曜集会から18年、掲げ続けるバナー。

2005年に始まった大阪水曜集会(デモ)は毎月第1水曜日、18年間欠かさず続き、5月3日、200回を迎えた。
この日は、始めに、SWING MASAさんのサックス演奏「ドント・キル(殺すな)」から始まった。前日に亡くなられた韓国の「慰安婦」被害女性と、4月に亡くなられた被害者に寄り添い「赤瓦の家」など貴重な記録を産みだした川田文子さんへの追悼と反戦の思いが込められた曲だ。MASAさんの演奏に合わせて、みんなで「戦争反対!」「殺すな!」とコールをあげた。

18年を振り返る

Aさん、「05年、『慰安婦』問題に関心をもった若者たちが、被害者を招いて『全国同時証言集会』を開催。運動を広げるためにソウルの日本大使館前の水曜集会に学び、大阪駅前の陸橋上で開いたのが始まり。そのときのバナーが今もここにある(写真上)」。
Bさんは09年初冬から始まった「在日特権を許さない会(以下、在特会)」との激しい攻防について報告。「彼らが証言集会や水曜集会に押しかけ、被害者への侮辱、在日朝鮮人への差別などヘイト発言と時には暴力的な行動にも出てきた。警察は彼らを抑えようとはしなかった。たくさんの労働者、市民、学生が応援に来てくれた。大変だったが跳ね返してきた」(13年から現在の大阪駅北側のヨドバシカメラ前に定着)
13年から参加のCさんは「関西ネットメンバーの被害者に寄り添う思いに胸をうたれ、ずっと来ている。水曜集会は、入管法改悪など外国人差別の強まり、軍事大国化の道への動きに抗う人たちの思いをつなぐところ」。
Dさんは、17年から参加する在日の青年。「加害の事実をなかったことにするこの社会で、サバイバーの尊厳を守るために真実を訴え続けてきた皆さんに敬意と連帯を表します。もっと若い世代に広げていきたい」。
後半は世界中の水曜集会の定番の律動(ダンス)「パウィチョロム(岩のように)」、歌、カードセッション『花ばあば』が披露され盛り上がった。「歴史を記憶し、平和と女性の人権が守られる社会をめざそう」と声明が読み上げられ、85人でシュプレヒコール。被害女性たちが何よりも願った平和を守り、レイシズムと闘い続ける決意を新たにして閉会した。

「辛い」現実と向きあいながら

「18年間200回も訴え続けながら、未だ解決を見ることなく、多くの被害者と別れねばならなくなった」「被害者が願った、誰もがその尊厳が守られ、差別や性暴力のない平和な社会は遠のくばかり」(当日の集会アピールより)の今、来月6月15日(水)には、ソウル水曜集会が1600回を迎える。 
被害者のみなさんが日本大使館(数年前に移転)に通い続けた思いが今も人びとを動かしている。関西では京都、宝塚、神戸でも水曜集会は続いている。ぜひ参加してほしい。   (水島良)
【参加者の感想より】
映画「金福童」を見て、ハルモニが93歳で亡くなられるまで、水曜集会で日本大使館に向かって謝罪と賠償を求めて声を張り上げておられた姿に突き動かされ、私も行動しなければと、集会に参加するようになった。とにかく水曜集会は歌と踊りで明るく、心強い。「慰安婦」問題を無かったことにしようとする反動勢力に対して、怒りを燃やし続け、粘り強く訴えていきたい(友)/200回と聞いて、10数年ぶりに参加した。たくさんの人たちが並んでいるのにびっくり。道行く人、ビルの2階の通路から注目されてうれしかった(俊)/解決を見ずに亡くなっていった被害者のことを思い、言葉につまりながら話すのを聞き、18年の取り組みの重みを感じた。在特会は出てこなくなったが、彼ら以上のヘイト発言が政治家やマスコミ、日本社会全体に染みついている。自分の生きづらさと重ねて反差別の運動に反発してくる若者もいるそう。しかし新たにデモに加わる若者もいる。また参加しようと思った。(F)