
1975年、先進国首脳会議(サミット)がフランスで始まってから48年、今年のG7サミットが広島で開かれた。かつて世界の6割を占めたG7の国内総生産(GDP)は現在4割に落ちこんでいる。中国やインドをはじめとする新興工業国の経済的政治的な台頭によって、G7の影響力の低下は歴然としている。それ故、今回のサミットの議論の半分がグローバルサウスと呼ばれる新興国・途上国との関係形成に費やされた。議題は気候変動や人工知能(AI)、ジェンダーなど多岐にわたったが、やはりウクライナ戦争をめぐる議論が中心となった。ゼレンスキー大統領を迎えてウクライナ支援と対露制裁が議論の大きな位置を占めたが、ロシアの核の脅し、核戦争が現実的課題になっている情勢下にあって、何ら具体的な道筋は示されず、従来どおりの核抑止力の重要性が強調、正当化されただけに終った。それは、ロシアの核兵器使用と威嚇は許さないが、西側陣営の核保有は必要かつ正当である、とするダブルスタンダードである。
そもそも核抑止力とは、「いざとなったら核兵器を使うぞ」と相手国を脅して、その行動を制限させる威嚇以外のなにものでもない。それは軍縮ではなく核拡大につながる。威嚇された相手は、それに対抗できるだけの核を保有しようとするからだ。
G7サミットは軍拡の議論の場であり、「平和都市」広島の名を利用し、核廃絶を願う被爆者を侮辱し、ロシアを刺激して核戦争の危機を引き寄せただけである。
被爆者たちの声
元広島市長の平岡敬さん(95)は、「広島に集まるならば核を全否定し、平和構築に向けた議論をすべきだった。ところが核抑止力維持の重要性が強調され、広島は利用された。議長国・日本の岸田首相の罪は深い」と憤りを隠さない。
カナダに住むサーロー節子さん(91)はG7首脳声明を読み、「これだけしか書けないのか。死者に対する侮辱だ。核兵器禁止条約についても全く書かれていない。ウクライナ戦争についても戦争を続ける準備の話ばかりだ。今回のサミットは大変な失敗」と失望を語る。
核兵器廃絶を目指す若者の団体「カクワカ広島」の代表者は「核兵器の存在を容認する内容だ。一体何のために被爆地広島でサミットを行ったのか」と怒った。
グローバルサウス
バイデンがウクライナ戦争を「民主主義と専制主義の戦争」と強弁し、グローバルサウスを取り込み新たな世界支配を画策したが、グローバルサウスの中では批判的で冷淡な対応をとる国が増えている。欧米の植民地主義の下に行われてきた500年にわたる殺りくと略奪と奴隷の歴史を経験してきた国々は、中国やロシアとの関係を重視しつつ、もはや独自の利害を見定めるしたたかな外交姿勢を維持するようになっている。
それは核兵器禁止条約の動きを見ても明白である。米国にもロシアにも従わない非同盟の国々が力をつけながら、新しい規範を形成しつつある。ロシアと石油や武器で経済的な結びつきが強いインドのモディ首相は、国益重視の立場を維持し、ゼレンスキーと会談はしたが、インドが議長国を務める今年9月のG20に招待はしなかった。ブラジルのルラ大統領は「ウクライナ戦争を長期化させているのは欧米の武器供与だ」とくり返し発言し、「ゼレンスキーの登場は我々をG7陣営に強制的に引き込むワナである」と批判した。
インドネシアの有力紙は「G7はすでに重要性を逸しており、世界的な問題はインドやロシア、中国を加えなければ解決できない」と主張。ベトナムのチン首相は「どちらか一方を選ぶのではなく、正義と平等を選択する」とバイデンの取り込みを拒否した。
米国の核事情
1986年、レーガンとゴルバチョフは中距離核兵器の全廃で合意し、その翌年、米ソ両国はINF条約に調印した。これにより2600基以上の核ミサイルが廃棄され、「冷戦の終わりが始まった」と言われた。しかし2018年10月、トランプ大統領はINF条約からの離脱を一方的に表明し、翌年、失効させた。核廃絶に向けた世界中の人びとの願いを踏みにじったのである。米国は日本に原爆を投下した当事国であり、他の核保有国と同列に扱うことはできない。
2016年5月、オバマが米大統領として初めて広島を訪れた。平和記念公園の慰霊碑の前で、オバマは原爆投下があたかも自然災害かのように「死が空から降ってきた」と演説した。オバマと被爆者が抱き合う映像は世界中で報道され、「和解」が演出された。メディアはこれを称賛し、ほとんどの日本人もこの「和解」を受け入れた。この時のことを被爆者団体協議会代表委員の田中てるみ熙巳さんは「アメリカが爆撃したのに。この野郎、冗談じゃないよ、はらわたが煮えくり返る」とインタビューで答えている。
オバマはわずか10分間しか原爆資料館に滞在せず、被爆者との会談も行わずに帰国した。これより7年前の2009年、オバマはチェコ・プラハで「米国は核のない世界をめざす」と演説し、ノーベル平和賞を受賞した。演説の中で「核兵器を使った唯一の国として道義的な責任がある」と踏み込んだことが評価されたのである。しかし、「ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の選択は正しかったのか」とインタビューで問われたオバマは、それには答えなかった。答えられなかったのだ。
米国では原爆投下は戦争を早く終結させるための不可欠の手段だったのであり、もし原爆を投下しなかったら、米国人の犠牲者はもっと増えていただろうと正当化されている。それが当時の米政府の公式見解として発表され、学校でも子どもたちにそう教え続けている。
原爆投下は今なお米国と多くの米国人にとっては正義であり、日本軍国主義、ファシズムとの勝利を決定したものであり、謝罪すべきではないことにされている。米国人に被爆の実相を知ってほしい。核は「必要悪」などではなく絶対悪であり、核廃絶は人類史的課題である。
核をめぐる国内の闘い
ロシアはベラルーシに戦術核を配備すると発表した。事態は緊迫の度を増している。一方、米国もNATOの5カ国(ベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、トルコ)に核兵器を配備しているといわれている。
ロシアがウクライナ侵攻した直後の昨年2月27日、安倍元首相がテレビ番組で「核共有について議論すべき」という認識を示すと、すぐさま自民党政調会長だった高市早苗がテレビで、非核三原則の見直し、すなわち「持ち込ませず」を再検討するために自民党内で議論すると発言。同じ3月、日本維新の会は「核共有」の緊急提言を政府に提出した。
G7広島サミットの期間中、新党くにもりは、原爆ドームの入口で堂々と「核武装せよ」と街頭宣伝していたが、これを被爆者とヒロシマに対する冒とくと言わずしてなんと言おう。G7で日本政府はゼレンスキーに新たな支援策として100台規模の軍用車両や約3万食分の非常用食料の提供、負傷兵の自衛隊中央病院(東京)への受け入れを約束した。
G7の首脳声明では、台湾問題や東・南中国海をめぐる問題で中国批判を展開したため、「不当な攻撃」と中国を激怒させた。中国が特に神経をとがらせているのが日本の対米追随である。日本はアジアで唯一G7に参加している国である。欧米に追随するだけではない立ち位置があるはずだ。アジアの人びとのために奔走しようという発想はないのか!
サミットが始まった48年前、日本の国民一人当たりのGDPは世界第2位だった。しかし現在は31位だ。日本の労働者の4割は非正規雇用で、実質賃金はこの30年間下がる一方である。そこに物価の急騰が追い打ちをかけている。労働者・民衆を搾取の対象としか見ない経済政策の結果だ。岸田政権の掲げる「新しい資本主義」は新自由主義的な政策を改めるのではなく、核兵器を含む軍事大国化で危機を乗り切ろうとしている。この「亡国の道」の前に立ちはだからなければならない。(当間弓子)
