
前回から5月31日までの辺野古関連の出来事を、我が家のかかわりで挙げてみる。熟読してもらう必要はなく、毎日のように出来事があることを感じ取ってもらえれば。
5月の17日間振り返る
5月14日(日)
5・15県民集会
5月16日(火)
読谷は「沖縄戦を忘れない! ウクライナに平和を」スタンディング
5月18日(木)
辺野古ゲート前座込み
5月19日(金)
辺野古、国会請願署名運動締め切り。
5月20日(土)
玉城知事、久志・辺野古・豊原区の区長と面談
5月21日(日)
「沖縄を戦場にさせない」北谷町で平和集会
5月22日(月)
石垣市の陸自配備訴訟、「住民投票の当事者たる地位を認めない」と判決
5月23日(火)
「沖縄戦を忘れない! ウクライナに平和を」スタンディング
5月24日(水)
「久辺3区の区長が関係大臣と面談」(見出しには、基地推進へ異例の厚遇)
5月25日(木)
「政府と久辺3区の振興に関する懇談会」
辺野古の海で海保に損傷させられた千葉和夫さんの裁判
5月27日(土)
辺野古海上行動に手作り弁当差入れ
5月30日(火)
読谷でスタンディング。台風接近のため辺野古工事関係なし。
5月31日(水)
朝6時半にJアラート鳴る(沖縄だけとのこと)。
以上の他、辺野古ゲート前、辺野古第4ゲート、海上行動、安和桟橋琉球セメント前、塩川港で毎日のように闘いがある。
「北朝鮮のロケット
発射」騒ぎ
さて、「琉球併合」までの歴史の続きは次回に送り、今回は31日の北朝鮮による人工衛星発射に伴うJアラートの発令のこと。台風が宮古島に近づいていた5月31日、那覇から車で1時間の読谷でも朝6時半にJアラートが鳴り、目を覚まされた。北朝鮮から「人工衛星が発射されたから、安全なところに避難せよ」という警報である。Jアラート解除まで30分間、モノレールなど公共機関もストップしたはず。朝のテレビは、このことを大々的に取り上げていた。
結果的にはJアラートが鳴っても、前日から鳴り物入りで唱えられていた地対空誘導弾パトリオットの迎撃態勢は与那国、八重山、宮古島では台風避難のため、たたまれていた。落下軌道からは遠い那覇だけが即応体制を取った。
台風から
パトリオット守る
北朝鮮の危険区通告は黄海の2カ所とフイリッピンの東の海。人工衛星の3段目の推進ロケットは、地図をみれば先島の上空を通りフイリッピンの東に落ちる軌道である。推進ロケットが領海に落下し、人に危害を与える可能性は確率的には大変少ないと考えられる。まして那覇なんぞはもっと少ない。Jアラートを鳴らす必要があったのか。パトリオットで迎撃態勢をとらなかった理由は、確率からして台風からパトリオットを守る方が大切と判断したからだろう。
そもそもパトリオットの沖縄への配備は必要だったのか。民間の港を利用して陸揚げし、北朝鮮「台湾有事」などの名目で危機を煽り配備しようとしてきた。なのに、台風のため発射態勢を休止したということは、政府の狙いは軍事体制を作り上げるためのものだったと思える。
韓国も打ち上げている
さらに言うと韓国も5月25日、国産ロケットを打ち上げ、初めて観測衛星を搭載して軌道に乗せることに成功している。その際も南向けに発射しており、沖縄の領空を通過した。その時はJアラートもパトリオットによる破壊措置命令も出していない。Jアラートの目的が推進ロケットの残骸が落ちてくる危険性に対処するのではなく、「北朝鮮が…」と危機感を煽り、自衛隊・米軍の強化を狙うものだということがあぶり出されたのではないか。
北朝鮮が言っているように、人工衛星(軍事衛星)を打ち上げる動機は「米韓合同演習を5月20日から5日間やったことに対する反応」と政府が説明すれば、もちろん打ち上げは、私たちにとっては迷惑なことではあるけれど、そんなに大騒ぎすることはなかったのだ。少なくとも、私の朝の眠りを妨げるほどではなかったはずだ。
おそろしいのは、これもあれもと政府が戦争の危機を煽っていることだ。(富樫 守)
