『阿片王一代〜中国阿片市場の帝王・里見甫の生涯』(千賀基史・光人社2000円)

阿片の利権に群がる
 今回は、満州のみならず日本の中国侵略に際してアヘンがどれだけ重要な物質であったか、『阿片王一代~中国阿片市場の帝王・里見甫(はじめ)の生涯』(千賀基史・光人社2000円)をもとに述べる。
 前回、「甘粕正彦と岸信介を結び付けたのはアヘンであった」と書いた。そのアヘンを満州や中国本土で密売に関わったのが里見甫である。里見は、秋田県出身(1896年生まれ)の元新聞記者。天津や北京で新聞記者をしていた。蒋介石や張作霖などの要人、中国裏社会の青幇で暗躍する人物と親交を持ち、中国語を巧みに操るようになる。中国名を季鳴といった。
 そういう人物は、軍部にとっては使い勝手がいい。蒋介石の資金源であった天津阿片市場を関東軍の手に掌握するよう、奉天特務機関長の土肥原賢二から依頼された。満州事変を起こし、満州全土を制圧した関東軍は熱河作戦を敢行し熱河地方も満州国に組み入れた。熱河はケシの栽培地であり、アヘンの生産地であったからだ。関東軍とは関係のない阿片密売ルートをつくり、天津市場に流し込む機関が必要であった。関東軍は手を汚さずに、阿片のあがりを手にすることができる。膨大な資金を軍の謀略作戦に使用し、岸信介などの官僚たちの接待費用に遣った。

関東軍、軍中央ともに
 中国侵略に突き進む軍中央も阿片利権に目をつける。謀略工作や傀儡政権つくる資金としてアヘンの販売に乗り出していく。イラン産のアヘンを輸入し、上海で売りさばくのだ。
 本を読んで初めて知ったのだが、関東軍と軍中央で阿片利権をめぐって確執があったという。関東軍は熱河の阿片だが、軍中央はイラン産の阿片を輸入し、上海の陸軍の倉庫に保管した。天津の阿片を取り扱ったのは三菱商事だった。上海の阿片は三井物産が輸入した。上海特務機関が三井物産に契約した輸入量は、阿片20万斤(12万㎏)、じつに120トンに相当した。(こじま みちお)