2018年、大阪市生野区で生まれつき難聴の11歳の女児が歩道を歩いていたところにショベルカーが突っ込み、女児が死亡するという事故があった。運転手はてんかんの持病があり、発作で意識をなくしての事故だった。運転手は持病を会社には隠していた。
運転手は危険運転致死の罪に問われ、懲役7年の一審判決が確定した。亡くなった女児の遺族は2020年1月、運転手と会社に損害賠償を求める訴えを起こした。一般的に損害賠償は働いていた人なら、そのまま働き続けたと仮定したときの収入から算出できるが(逸失利益)、就業可能な最低年齢に達していない年少者は、将来の収入が不明のため算出が難しい。さらにこの女児の場合は、難聴だったため、障がいがどの程度逸失利益に影響するかが裁判の焦点となった。言い換えれば、健常児と障がい児の差をどのように計算するかという問題である。
被告の運転手側は聴覚障がい者の平均賃金は全労働者の平均の6割にとどまるとして、それをもとに逸失利益を算出するのが妥当と主張した。これに対して遺族は、亡くなった女児は学力に問題はなく、コミュニケーション能力も努力して獲得しており、健常児と差をつけられるのは納得がいかないと主張した。厚労省によれば、最近の聴覚障がい者の平均収入は労働者の平均収入の約7割らしい。
大阪地裁は今年2月27日の判決で、最近の聴覚障がい者の大学進学率の上昇や就労機会の拡大、テクノロジーの進歩に踏まえ、逸失利益を労働者の平均収入の85%とし、被告に対して、3770万円の賠償を命じた。
従来と比較すれば、健常児との差を少なく見積もっていたが、遺族は「減額は差別である」として、3月13日、大阪高裁に控訴した。「命の値段」で愛娘を差別した一審判決を、親としては到底認めることなどできなかった。
そもそもこの「逸失利益によって『命の値段』を算出する」という発想そのものが、まったくの差別的価値観に基づくものである。犠牲者が高収入の金持ちやエリートの場合は「命の値段」は高額になるが、社会の底辺に位置する貧乏人は安上がりですむというわけだ。
障がいの有無、男女差、生育環境の差、若年か高齢か … 生きていたときの格差が死んだ後までつきまとう。年少者の場合の男女の格差はどうか。二十数年前までは、女性の平均賃金は男性の三分の二とされ、逸失利益もそれで算出されていた。しかし2001年、11歳の女児(健常児)の死亡事故裁判で東京地裁は、「多様な発展可能性を性の違いで差別してはならない」として、全労働者の平均賃金を採用した。
女性が勝ちとった画期的な判決だったが、近年、非正規雇用などによって男女の賃金格差が拡大し、生涯賃金の男女差が1億円も違うという。22年前、東京地裁が「平均賃金で男女の差を設けない」とした地平が今後も守られるかどうかはまったく不明である。

えん罪・甲山事件

1974年、西宮市にある知的障がい児施設で障がい児二人がトイレのマンホールから溺死体で発見された。私はこの関連施設に勤めていた。同僚の保母Sさんが殺人罪で逮捕・起訴された。物証は何もない。さらにSさんのアリバイを証言した園長のAさんと保育士のTさんも偽証罪で逮捕・起訴された。三人は無罪を勝ちとるのに25年余かかった。事件発生当時22歳だったSさんは48歳になっていた。甲山えん罪事件だ。
二人の園児の遺族が社会福祉法人甲山福祉センターを相手に管理責任を追及した民事裁判で、被告の経営陣は「知的障がい児が死んで、遺族は苦労から解放されたのだから、損害賠償を求めるのは筋違いだ」と抗弁した。障がい者の「命の値段」はゼロどころか、マイナスだと言い放ったのだ。(つづく)