性売買経験当事者ネットワーク・ムンチ著 『無限発話』(梨の木舎)より

ボンド、麻薬漬けに

14歳で売春店に売られ、男からボンドを与えられ、ボンドとタバコと酒に依存して心身をボロボロにされた女性。店主に麻薬を打たれ、「廃人」のようになり、刑務所に服役している女性。マインドコントロールで借金のことばかりが頭を占め、業者に臓器売買まで企てられ、連れ回された女性。客に性病をうつされても、病院にも行かされず、店主に殺虫剤を患部に吹き付けられ「自己責任」と罵倒された女性。
生理のときも休むことが許されない。追いつめられて自殺を図っても、店主に見つけられて、「借金を返してから死ね」と残酷な言葉を投げつけられ、殴られる。「逃げられないんです。死ぬこともできないんです」だから性器がすりむけ出血しても、病気になってもやり続けなければならない。「警察の取り締りで捕まったら戸籍に赤線で『淪落女』と書かれ実家に連絡が行く」という店主のどう喝。(戸籍は植民地時代に日本が韓国に押し付けた制度。2008年廃止。現在戸籍制度があるのは世界で中国、台湾、日本だけ)

普通の男が豹変する

「買った女には何をしてもいい」「女房にはこんなことはできない」と「へんたい」行為を強制する。拒否すると殴る。鼻血を出し、歯を折られ、全身アザだらけになっても、「この売女」と笑いながら残忍に、差別感を解き放ちながら殴り続ける客もいる。これは例外的な話ではなく、ごく普通の男が性売買の現場では人格が豹変するのだとムンチの女性たちは語る。その根本にあるのは、日頃は潜在化している度し難い差別感と支配欲だろう。私はこれを見て、錦秋会神出病院で、病院職員が精神病患者に行った凄惨な虐待を思う。看護師たちは患者に屈辱的な行為を強制して、スマホで撮って楽しんでいた。精神病者と女性との違いがあるが、差別され底辺におかれた存在を侮辱し、いたぶって快感を得るという差別の奥深い闇を見る。彼らは相手が同じ人間だとは思っていないのだろう。

「人は花より美しい」

性売買の女性と客がカラオケをするときに、客の愛唱歌として人気があるのは「人は花より美しい」だ。この歌は韓国の民主化をになった進歩的な人や労働者が好み、デモ、集会、組合活動で歌われる「人間賛歌」ともいえる歌である。男たちはこの曲をうっとりと熱唱するが、女性の身体を売り買いする所でなぜこの歌が歌えるのかと、ムンチの女性たちは嘆く。韓国の民主化と、労働者の解放と、そして女性差別がなぜ共存できるのか。
性売買というものが搾取であり、支配であり、差別であり、それが揺るぎない性売買の本質ならば、セックスワーカー論をとなえる人たちが、性売買を肯定した上で、性「労働」の環境整備や条件向上を語ることに対して、違和感が拭えない。それは違うのではないか。もちろん、性売買に従事している女性が少しでも安全に健康に働ける改善を追求する闘いを否定する訳ではない。

警察との癒着

警察は女性たちが被害を訴えても「性売買女性」という偏見で見て、被害が被害でないように扱う。「対価が支払われているだろ」と耳を貸そうとしないのだ。
どんなにひどい目にあっても、「警察が味方になってくれるはずがない」と思うだけの、性売買業者と警察との癒着がある。互いに気心の知れた仲であり、「交番所長が地域を担当して一年以内に家を買えなければ間抜け」と語られるほどの金が動いている。
例えば、店主のあまりの仕打ちに女性が逃亡した場合、店主は女性を詐欺罪で警察に訴える。警察は大規模に捜索して隠れている女性を見つけ出し、店主の下に返す。何のことはない、性売買業者が警察を利用して女性たちを隔離・支配しているのだ。
韓国の女性たちが頑張って勝ちとった性売買防止法だが、「自主的な」性売買の場合は女性を処罰するという法の欠点が、女性たちを脅し萎縮させ、権力に従順に従わせ、一方大罪あるはずの性売買業者を生き延びさせているのだ。(つづく)