長崎対馬市の浅茅湾(あそうわん)

島の北端は、韓国釜山から50キロ。日本の歴史の中で重要な位置を占める「国境の島」対馬に全国の視線が注がれた。9月12日、長崎県対馬市議会は「核のごみ最終処分場の文献調査」受け入れ推進派の請願を採択、反対派の請願を否決した。しかし10対8という僅差であった。
議会最終日の27日、市長のひたかつ比田勝尚喜氏は、「受け入れ拒否」、「市民をこれ以上分断させないためにこの案件に終止符を打つ」と表明し、北海道寿都町と神恵内村に続く第3の候補地にしたいNUMO(原子力発電環境整備機構)と政府のもくろみを砕いた。市長の決断を産みだしたのは、島民の粘り強いたたかいだった。
対馬は50年前にすでに動燃による「処分場」のためのボーリング調査が2カ所で行われていた。2007年、市内の経済団体などから「受け入れ」請願が出されたが、反対の声が大きく、市議会で否決された。しかし、NUMOは、2年前から何回も「説明会」を開き、市議らを青森・六ヶ所村の核燃サイクル施設や北海道の幌延深地層研究センター(地下での保管技術の研究施設)に連れ出し、「地元合意」形成の工作を続けていた。
この動きに対し、漁協、特に青壮年部や、市民団体が学習会や署名運動にとりくみ、6月には若い漁師たちを先頭に530人のデモも行った。島内でのデモは、1978年の原子力船むつの寄港反対デモ以来、45年ぶりだったそうだ。

人口減で未来ない?

水産物の宝庫といわれる対馬海峡だが、漁業者の高齢化もあって水揚げ量は減少し、人口は3万人を割ってしまった。NUMOや推進派は、それをもって「対馬には未来がない。文献調査で入る20億円で活性化を」という。しかし対馬市の年間漁獲高は160億円、観光関連収入は180億円あり、20億円の交付で処分場を引き受ける必要はない。反対する人びとは、「人口が減っても、島で暮らせるようにしよう」と訴えた。

島民は力強く生きる

反対運動の中心を担った対馬市漁協組合を束ねる宮崎義則さんは、実際に自分の目で見て判断しようと幌延の実験場へ視察に同行し、そして「反対」の思いを強めた。
「絶対に安全なら、東京や千葉、神奈川にでもつくればいい。安全が100%保障できないから過疎地や離島に運んで最終処分場をつくりたいのではないか」、風評被害で漁業への打撃は必至、「漁業者の代表として通せる話ではない」、交付金で人口減少が食い止められるわけでもなく「今、県外からでも若い人たちが対馬に来て漁業で生活していけるように、資源を残して海を守っていくこと」、「ぶらさげられた金に頼らんでも対馬の島民は島民として力強い生き方ができる。今からね」と語っている。(長崎文化放送9月27日)
原発建設時も、核のごみの処理問題(注)も、過疎地域に交付金を使って住民を分断する現行制度の理不尽さ。対馬の問題はあらためてそのことを可視化して問いかけている。     (新田蕗子)

【核のごみの処理問題】5月28日、原水禁、原子力資料情報室、北海道平和運動フォーラムは高レベル放射性廃棄物(核のごみ)について提言。地震多発の日本列島で地下深くに埋める地層処分は不可能。脱原発による核のごみの総量管理と長期的な保管を求めた。電力会社や国の責任を踏まえた管理機関の設置などを提言した。