
国家に代わる自己統治の場とは、貧困・差別・精神疾患・傷害などに対するケアの場、〈アジール〉(避難所)である。ケアする人びとの相互信認から結社が生まれ、拠点が線から面へと広がり、権力支配への対抗陣形を強化する。
外国人労働者と難民の受け入れを機縁に、国籍、民族、文化を横断するコミュニティを形成することがその鍵になる。外国人比率の急速な増大と在日外国人の民族の多様化は、日本人が単一民族幻想にしがみつく余裕がなくなるところまで進むだろう。そこであらためて自治の意味が問われる。
抑圧は人種・民族だけに起因するわけではない。貧富、能力、健常と障害の壁、男女差、性自認の差別など、すべての個人が他者と関係を取り結ぶとき、絶えず権力関係が生み出される。絶えざる権力関係を取り払うためには、理想社会を固定的な状態として思い描くことに禁欲的でなければならない。立ち止まることは、そこに未解決のまま現出している権力関係を容認することになる。
権力を取る前に望ましい自治のかたちを創ることに専心すべきだ。それは国家や資本などの排他的な権力作用による統治の対極をなすものだ。それは多元的多極的に扶助し合うことによって実現される社会関係である。(おわり)
