
(みうら・しゅんいち)
1947年、熊本市生まれ。66年関東学院大学経済学部入学。ベトナム反戦運動をきっかけに67年に共産主義者同盟(第二次ブント)に加盟し、同年、大学自治会委員長、翌年、関東学院大学全共闘議長となる。69年より赤軍派に参加。84年、活動から離れ、渡欧して輸入業を営む。2008年、大阪・釜ヶ崎に移住して街頭での活動を再開、現在に至る。
「24時間戦えますか」
1988年、俳優の時任三郎が「牛若丸三郎太」名義で「24時間戦えますか ジャパニーズ ビジネスマン」と歌うCMソングが世間を席巻していた。過重労働の象徴のような歌詞だが、バブル絶頂期にはなんと60万枚が売れ、89年の流行語大賞で銅賞を獲得した。
70年代後半から80年代前半、日本経済は安定成長期に入り、それに伴って女性の社会進出が進み、ワープロやパソコン、コピー機、FAXなどのOA機器などが普及し、「人材派遣」のニーズが高まっていった。1985年、人材派遣業を制度化する労働者派遣法が制定され、「労働者派遣市場」は右肩上がりに成長していった。
しかし労働者派遣事業は、戦前の土建業や鉱山業で行われていた強制労働と中間搾取を抑制するために職業安定法が禁止していた労働者供給事業(間接労働)に該当する懸念があった。また就労条件の説明や、トラブルが発生した場合の責任の所在が不明確であるなど、労働者保護の観点からさまざまな課題を抱えていた。この懸念は数度にわたる労働者派遣法の改正で現実のものとなった。派遣法の対象業務は16業務に限定されていたが、「雇用の柔軟化」を進める日本経済の動向に呼応するように多くの業務に拡大していった。
87年、右翼的な労働戦線統一を目指していた全民労協(全日本民間労働組合協議会)は、全日本民間労働組合連合会に組織替えし、官公労を含む新たなナショナルセンター結成へ向かうことを決めた。総評(日本労働組合総評議会)傘下の単産(産業別単一労働組合)のなかには、石油危機後の労使協調的な労働組合のあり方を是とする労線統一運動の姿勢に疑念を表明したり、反対を唱えたりする声もあった。しかし、臨調行革によって国鉄の分割・民営化が強行され(87年)、これに抵抗した国鉄労働組合(国労)が組織分裂に追い込まれたこともあって、官公労のなかでも「労線統一」に向かう機運が醸成されていった。そして89年、階級的労働運動を掲げて戦後労働運動をけん引してきた総評が解散し、連合(日本労働組合総連合会)が結成された。こうして労働組合運動が資本との関係で力を失っていったころから、「働き方改革」の機運が高まっていくのである。
「活力ある経済活動」
同時に見過ごせないのが1999年に施行された「男女共同参画社会基本法」だ。同法第2条1項で、「男女共同参画社会の形成」を、「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会を形成すること」と定義している。
それは、「男女が相互に協力し、社会の支援を受けながら、家庭生活と職業生活・地域活動とのバランスのとれた生活スタイルが実現し … 女性の政策・方針決定過程への参画が進み … 男女共に自らの能力を発揮し、多様な人材が活躍することによって、活力ある経済活動が実現」すると説明される(埼玉県男女共同参画推進センター)。
「活力ある経済活動」が男女共同参画の目的であると臆面もなく語っているように、この法律の条文の中には、女性への政治的、社会的、経済的な格差排除にかんする言及が一つもない。ここで言われる「男女共同参画社会」が、「多様性」の政治、社会的な原点であり、モデルであるとするならば、その後の政府が唱道する「多様性」にかんする議論も、その本質は明らかだろう。
ジェンダーに
基づく排除
2020年、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)で「性差(ジェンダー)の日本史」という企画展示が行われた。少し長くなるが、その紹介文を引用する。
「日本人の多くは、幼少時から『女の子らしく』、『男の子らしく』という言葉を耳にしながら成長してきた。しかしながら、この「らしさ」の根拠について説明される機会、立ち止まって考える機会が与えられることは、近年までほとんどなかったといえよう。ジェンダーという言葉が一般的に使われるようになったのも最近のことだ。 … 政治が変われば、人々の仕事とくらしも変わっていく。時代が進むにつれて性別の区分けも明確になっていく。中世は活躍していた女性の職人は、近世には男性のみが職人として認められるようになり、非公式の存在になっていく。展覧会では、屏風に描かれた女性がどのような仕事をしているかなども含め丹念に追いかけ、『女性向けの仕事』『男性向けの仕事』が、生物学的な特徴を鑑みて割り振られていったものではないことをあぶりだしていく」(注1)
このようにジェンダーに基づく社会的排除は、中世から近世へと時代が移行する中で生じたのである。それは国民国家と近代資本主義の生成と発展と軌を一にしているのである。 (つづく)
(注1) 浦島茂世「『性差』はいかにつくられてきたのか? 国立歴史民俗博物館で『性差(ジェンダー)の日本史』を見る」https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/22946
