
差別する側の人間と、差別される側の人間との〝壁の厚さ〟にずっと悩んできたように思う。
ある被差別の知人が「我々は差別する側の人間よりも、倫理的に高い位置にある」と言った。その言葉がずっと引っかかっていた。その人は差別糾弾を(組織内の)権力闘争に利用した。
本書の冒頭に「差別の根幹には、差別する側と差別される側の間に現実の認識の仕方そのものに非対称性があり、抑圧され不利益を被っている人びとには社会の公正を求める動機があるが、押しつけている側の人びとには、公正を求める内在的な動機は存在しない」とある。だから、善意や同情ではなく、マイノリティの現実を正しく「知り、学ぶ」ことが決定的に重要なのだ。「私たち」は、「差別構造に無関心でいられるが、無関係ではいられない」
大切なのは「差別の問題を個々人の真理や行為の問題から、法や制度、社会構造の問題、日々それを再生産し固定化する構造化・権力作用の問題としてとらえる」べきであり、「マジョリティの最大の特権は、問題そのものに無知で無自覚で無関心にあり、しかも『平穏の権利』」として正当化し得る」ことであり、「他者に対する構造的な抑圧の『代償』として、自分たちがどれだけ不利益を被っているか」を自覚できなくされている。「社会的正義や多様性について学ぶとき、必ず人びとには感情的な抵抗や不快感、怒りが生じる」。マジョリティのこの感情的「抵抗」は最も難しい側面でもあるが、だからこそ主体的な変革のポイントとなるはずと言う。
「自分の受けた傷に意識的に向き合わない限り、他者に共感を持てず」「マジョリティであるが故に感じていた葛藤や罪悪感、麻痺(まひ)、無力感から自己を解き放ち、自家中毒を解毒し、今まで内部で浪費されていたエネルギーを外なる社会へ向け直すこと」「その上で、自己の欲望や生き方を変化させていく。自己配慮し、自己ケアしつつ生活を改善し、自己改造していく」ことが大切なのだ。
「それは自己否定ではなく、他者の前に自分を無知で無力なものとして差し出す、他者の前に無防備で脆弱(ぜいじゃく)な自分たちをさらけ出すことである」
「特権と抑圧を学び直す旅を続けるには、居心地の悪い状態に身を置くことに価値を見出し、結果として成長につながることを信じなくてはならない」
差別被差別の絶壁ほどの壁が少しずつ乗り越えられそうな気がした。ちょっと変わった本である。(岩井良助)
