「とめよう大軍拡」と書かれたプラカードを一斉に掲げる集会参加者たち=11月3日、大阪市北区・扇町公園

11月3日、大阪市内で開かれた「輝け! 憲法 平和と命と人権を」集会(写真上)で、清末愛砂さん(室蘭工大教授)が渾身のスピーチを行った。世界の人びとにむけて「みんな平和的生存権を持っているんだよ」と自らの行動で示さなければならないと。
清末さんは11月17日からガザに入る予定だった。北海道パレスチナ医療奉仕団のメンバーとして、子ども支援活動のためだ。昨年8月も同様の支援活動をし、難民キャンプには友達になった子どもたちもいる。死の直近にいる彼らを思い、イスラエルによる空爆が始まってからは「毎日泣いている」という清末さんだが、「本当に泣きたいのはガザの人たちだから」と涙をこらえて次のように訴えた。      (池内潤子)

私は抵抗を継続する

日本国憲法前文は、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と謳っている。日本国憲法を研究し、教えるものとして、私は平和的生存権の実現を目指して、ガザにかかわってきた。
ハマースとイスラエル軍との争い―今や争いというレベルではないが―この始まりは、10・7で始まったのではない。それ以前からガザの人びとはフェンスと壁に囲まれて、その中で生きることを強いられてきた。365平方キロしかないところに220万人ものひとびとを押し込む。この非人間的なやり方が、どれだけパレスチナの人びとの、ガザの人びとの尊厳を奪ってきたのか。それを私たちは見逃してきた。 
私は平和的生存権という考え方を非常に重視している。なぜなら「等しく恐怖と欠乏から免かれる」ことを全世界の人民の権利として謳っているからだ。単に「恐怖と欠乏から免かれる」のではなく、〝等しく〟免れるのだ。すなわちガザの人びとであろうと、ミャンマーの人びとであろうと、アフガニスタンの人びとであろうと「等しく恐怖と欠乏から免かれる」権利がある。
私がガザに行くのは、国際法違反のイスラエルによる封鎖に抵抗することにしたからだ。針の穴を開けるような小さな抵抗だが、それを継続し継続して、違法な封鎖を絶対に許さないという小さな穴を大きくするのだ。それが私のできる抵抗だ。そしてそれは憲法研究者としての私の矜持だ。
イスラエルの国防大臣はハマースの戦闘員のことを「人間の面をした野獣」という表現をした。人を非人間化している。この非人間化の行きつくところはジェノサイドだ。
今、ガザで起きていること、国際社会の目の前で起きていることを、我々は恥ずかしいと思わなければならない。最後に、仮に停戦になっても封鎖が続けば意味がない、封鎖の解除を求め続けなければならない。