
所属タレントに対して長期間にわたって性加害を繰り返していた故・ジャニー喜多川。彼の犯罪は子ども(年少者)を相手に権力をもって不同意性行為を強制したものだが、「外部専門家による再発防止特別チーム」は調査報告書の中で、ジャニー喜多川がパラフィリア症(性嗜好異常)であったと発表した。
パラフィリア症
これは「通常は性欲を喚起しない対象に強い執着をもち、自身または他者に苦痛や屈辱を与え、害をひきおこす可能性があるもの」とされる。
最も頻度の高いものとして、小児性愛、窃視症、服装倒錯、露出症、性的マゾヒズム障害、性的サディズム障害などがある。重大なパーソナリティ障害(反社会性・自己愛性)を併存する場合が多く、治療困難とされている。法律に抵触して逮捕収監されることもあるために、米国では生涯にわたり性犯罪者として登録される場合もある。
ジャニー喜多川がパラフィリア症であっても、家族や芸能界やマスメディアが、そのような犯罪を許さない立場に立っていれば、60年に及んで数百名の被害者を生み出すことはなかっただろう。被害者の中には長じて30代40代の成人になっても心的外傷後ストレス障害(PTSD)やうつ病に苦しむ人びとがいる。10月13日には、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」の男性が自死に追い込まれた。
経営者家族はジャニーを守るために徹底的な隠ぺいを図り、1989年にはフォーリーブスの北公次氏から告発されたにもかかわらず、34年間も芸能界やマスコミは沈黙を決め込み、それを破るものに対しては徹底的に弾圧し、芸能界から追放した。ジャニー喜多川本人については、そのような環境をいいことにして、権力を振り回し、恐怖によって被害者の少年たちを性搾取してきた。
LGBTQ差別と偏見
私がこの問題を取り上げるのは、このジャニーズ事件によって性的少数者に対する偏見や差別が拡大しないかと懸念するからである。LGBTQはパラフィリア症と違って、病気でも障害でもない個性であるが、性的少数者として、差別されてきた歴史は長い。
性的少数者に対する認識や扱いは、時代や社会、宗教によってまったく違う。歴史をひもとけば、悲惨な弾圧や国家による処刑すらもあった。中世ヨーロッパの魔女裁判もそのようである。今でこそ同性愛やトランスジェンダーは個性の一つとして尊重され、LGBTQの社会的認識・評価も飛躍的に改善してきたが、わずか数十年前はまったく違った。
アラン・チューリング
一例を挙げたい。コンピュータ技術の黎明期の世界的な科学者、アラン・チューリング(英国)は同性愛者であった。チューリングは「異常者」として1952年に同性愛の罪(風俗壊乱罪)で逮捕され、「治療」と称してホルモン投与を強制された。逮捕から2年後、青酸で自死に至った(41歳)。わずか70年前のことである。その後、同性愛者の解放運動もあり、2009年、英国政府はチューリングに対し、国家の犯罪で死に至らしめたことを正式に謝罪した。それだけではない。コンピュータ分野のノーベル賞といわれるチューリング賞が作られ、英50ポンド紙幣には彼の肖像が使われ(切手にも)、チューリングの銅像の台座には、科学者としての卓越した功績と共に、「偏見の犠牲者」と刻まれた。
日本の芸能界でも、その真偽はともかく「ウワサ」をスクープされ、追放された有名人もいた。トランス女性の就職先は水商売しかなく、カルーセル麻紀氏は今でこそトランスジェンダー解放の先駆者と見なされているが、少年の頃からの家族や世間との闘いは、苦難に満ちた壮絶なものだった。当時は「オカマ」「ヘンタイ」扱いだった。
社会は変われる
かつての職場で私の同僚だったトランス男性は、女性として入社したが、管理職や同僚たちに告知して、自分だけの着替え場所を確保し、手術をして名前も変えて元気に働いていた。同僚たちは皆、応援していたと思う。人間社会はここまで変われるということを経験し、うれしかった。
再びパラフィリア症に戻るが、ある精神科クリニックが以下のような報告をしている。露出症のパラフィリア症患者が、電車内で女性に自分の裸を見せる破廉恥行為を繰り返し、ついに逮捕された。彼は自分の性的異常性についてのしっかりとした自覚があり、ずっと「やめなければ」と苦悩しながら生きてきた。彼は逮捕されたとき、「ホッとした」という。「これで現状を断ち切ることができる」と。その後の彼は、毎日の生活の中で自制と自省を重ねて、リハビリに成功しているという。
パラフィリア症の治癒は非常に困難と言われているが、このようなケースもあると聞き、明るい気持ちになった。甘い考えと言われるかもしれないが、本人の強い意志、医療の発展、周囲のケアによって、パラフィリア症でさえも克服できるような社会になることを願わずにはいられない。
