新時代の「日本的経営」

 日本経営者団体連盟(日経連)は、1995年5月、「新時代の『日本的経営』―挑戦すべき方向とその具体策」という報告書を発表した(以下、日経連報告)。そこで打ち出された重要政策の一つが、終身雇用制の見直しである。日経連報告は、労働者の雇用形態を次の三つのグループに分類することを提言した。
一、 管理職や技能部門の基幹職を担う長期能力活用グループ。
二、 営業や研究開発を担う専門能力活用グループ。
三、 技能工、販売員や一般職に従事する雇用柔軟グループ。
第三グループ(雇用柔軟グループ)は短期勤続で流動的な人員。時間給、昇給なし、職務給というもの。採用は新規学卒者に限らず、中途採用者も必要な時に必要な人材を確保すべきとされた。雇用数がもっとも多い第三グループは、柔軟な採用と解雇の対象になる。
 第三グループが労働者の大半を占めるようになれば、今井が言った「技能の伝承」は空文になる。このグループの賃金形態で、もしも職務給が現実化すれば、その仕事に精勤すれば十分に生活できる賃金になるはずだ。しかし、職務給ではなく最低賃金に近い時間給が主流になれば、年収200万円以下のワーキング・プアのグループになる。

格差拡大の元凶

 ところが、それから25年後の2020年に開催された世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)では、「株主至上主義は格差の拡大の元凶」と批判された。さらに世界的な環境問題の解決を注視すべきという宣言が発せられた。
 「会社は株主のものであり、企業経営は株主配当を重視すべきであり、雇用や賃金はこの基準で考えるべき」という株主至上主義の経営理念が確定された結果、企業経営は内部留保に経常利益の大半をつぎ込んできた。その一方で労働者の賃金が長期間にわたって抑制され、格差拡大の原因となってきた。それを資本主義社会のリーダーたちが認めたのだ。
 日本における新自由主義と株主至上主義の旗振り役を果たしたのは竹中平蔵である。
竹中は小泉内閣の経済財政政策担当大臣として入閣し、時代の寵児としてもてはやされた。竹中が掲げた政策は「雇用の抑制」と「労働分配率の圧縮」である。日本の労働分配率は、90年頃は60%程度の水準だったが、バブルの崩壊以降上昇し、00年時点で約70%となっていた。これに対して竹中は、「売り上げが下がっても賃金は下げられないため、企業収益に対する労働分配率が上がってしまった」として、労働分配率を圧縮して企業収益を増大させる方向に大きく舵を切った。こうして膨れ上がった企業の内部留保はグローバル化の時代を反映して、巨額の投機的資本となって世界市場を駆けめぐった。投機経済が支配するカジノ資本主義の出現である。これがその後20年にわたる低所得者層の増大を生み出す原因となった。

少子高齢化の進行

 2012年に政権に返り咲いた安倍・自民党がかかげた「アベノミクス」という、意味不明の政策の中で、「労働の質の高度化」や「多様な働き方」といった言葉が頻繁に使用されるようになった。こうした働き方の変化は、一握りの超富裕層と膨大な相対的貧困層といういびつな社会構成を生み出し、それが固定化していく。そればかりではない。労働者の間に幾重もの階層を生み出し、労働者の分断構造をも生み出していったのだ。
 「少子高齢化」が初めて「骨太の方針」で取り上げられたのは2006年、第一次安倍政権のときであった。だが、少子化の原因を経済的な側面から究明する議論は全く生まれてこなかった。長きにわたる雇用形態のゆがみと低賃金によって無資産世帯が増加し、未婚率は21年に戦後最高となった。
 2015年の国勢調査で明らかにされた人口の自然動態報告を見た、当時の安倍政権の閣僚たちは愕然とした。その報告とは以下のようなものである。
 日本が高齢化社会に入った1970年の総人口は1億0466万人に対して65歳以上の高齢者人口は739万人(7・1%)だった。それが1995年には総人口1億2557万人に対して高齢者人口は1826万人(14・5%)になっていた。高齢化社会に入ってわずか25年で高齢者の割合が2倍以上になったのだ。2020年には総人口1億2571万人に対して高齢者人口は3619万人(28・8%)と、15年間でさらに倍増した。人口全体の高齢化と稼働年齢層(15歳以上64歳未満)の減少が急速に進行しているのだ。
 昨今、「ダイバーシティ(多様性)」や「インクルージョン(包摂)」という言葉が人口に膾炙する背景にはこうした事情があることを押さえておきたい。(つづく)