
11月4日、ロックアクションの講演会で拓殖大学教授・関良基(よしき)さんの話を聞いた。5年ぶりだ。関さんの専門は環境政策だが、「明治維新すごい」という歴史観に疑問を感じて歴史を研究するようになったという。
不平等条約のうそ
中学、高校の歴史では今でも幕府が朝廷の許可を得ずにイギリスと不平等条約を結んだと教えているが、これは間違いである。日本には関税自主権があり、不平等条約ではなかった。ところが「幕府は無能で自ら近代化できない政権だった」という神話が作られた。「幕府」という呼称は、「徳川政権は正統な政権ではない」と貶めるために長州が使いはじめた。
日本は無理やり開国させられたのか。そうではない。5人の老中のうちの一人、松平忠固(ただかた)は、「交易は世界の通道なり」「前途は交易によって開かれ、おおいに興隆を図るべきものなのだ」「たとえ世論が紛糾しようとも、開かれるべき道を閉ざしてしまうことなど、できるわけがない」と家臣に語っていた。
歴史教育では、嫌がる日本をアメリカやイギリスが武力で脅して開国を迫ったように伝えられているが、徳川政権は開国しようとしていたのだ。
開国当時、日本の関税率は20%だった。清やインドには関税自主権がなく5%や2・5%だった。当時、アメリカとイギリスとでは対日政策が全く違った。アメリカ初代駐日公使のタウンゼント・ハリスは関税率20%を認めて日本の経済発展を後押しした。一方、イギリス公使のハリー・パークスは下関戦争の賠償問題をきっかけに日本の関税率の5%への引き下げを要求した。
フランスは日本の養蚕技術を高く評価し、徳川政権はフランスへの生糸、蚕種支援と引き換えに、フランスから製鉄・造船の技術支援を受けた。慶応元年(1865年)には横須賀製鉄・造船所の建設に着手している。
当時、覇権国だったイギリスは、日本が近代的な製鉄・造船技術を手にするのを嫌い、薩長のテロのたびに干渉を強めた。生麦事件ではイギリス、フランスは陸軍の横浜駐屯を要求。薩英戦争後に駐屯を実現させた。
下関戦争は英・仏・米・オランダ対長州の戦いだが、徳川政権に300万ドルの賠償を要求。賠償金減免と引き換えに関税率を5%に削減させた。関税自主権を失った日本の製鉄業は大幅に遅れた。
江戸の憲法構想
ドラマや映画では明治維新がすばらしいもののように描かれるが、関さんの話を聞くとそれがウソだということが分かる。
慶応年間には現行憲法に通じる憲法構想が数多く存在していた。上田藩士の赤松小三郎は普通選挙を考えていた。公儀陸軍総裁の松平乗謨(のりかた)は、天皇は議会決議に対する拒否権はないとした。会津藩士の山本覚馬は、個性の尊重、職業選択の自由、課税の平等化、義務教育、女子教育の振興を謳った。
来年3月には関良基さんの新刊『江戸の憲法構想』(作品社)が出版される。 (池内 潤子)
