11月10日、大阪市内で開かれた集会「原点はここにあった 高次脳機能障害と現代社会」の第2部では、一酸化炭素(CO)中毒特別立法制定の闘いに至った女たちの苦悩を描いたミュージカル「黒いかがやきの道」が上演された。

みんな同じだ!

年金もなく労災補償も打ち切られ、遺族はもとより、CO中毒患者の家族たちは、塗炭の苦しみの中にたたき込まれた。生還したとはいうものの、高次脳機能障害についての病院や世間の無理解と過酷な現実に、患者と家族は苦しめられていく。
頭痛、耳鳴り、物忘れはまだ軽症で、知的障害、幼児化、脳梗塞、そして理性を失った手加減のない家族への暴力。この暴力は妻のみならず子どもたちにもおよんだ。傷を負って登校する子どもたちに教師たちは「どうした?」とは尋ねない。炭鉱の社宅ではみな同じような状況にあることを知っていたからだ。
それなのに労働省(当時)は1966年、「もう治りました」「まったく正常」といった医学的意見を提出し、働こうとしないのは組合が闘争を有利に進めるための「組合原生病」「ニセ患者」と決めつけて、700人を超えるCO中毒患者を切り捨てた。
隣同士がベニア板一枚で仕切られている粗末な社宅では、一家心中まで追いつめられていく家族の様子が皆の知るところとなる。「皆、同じよ! だから皆で起ち上がろう」という場面に涙が止まらなかった。こうして女たちの捨身の決起が始まっていった。

「三池」を風化させない

第3部は脳外科医の山口研一郎さんの講演。山口さんは高次脳機能障害の課題に一貫して取り組んで来られた方だ。以下、その要旨を紹介する。
現在、高次脳機能障害を持つ人は全国に60~70万人いる。労災、交通事故、脳梗塞などの後遺症で身近な障害のはずだが、社会的に認知されるようになったのは最近のことである。かつて三井三池炭鉱事故のCO中毒で高次脳機能障害を発症した人びとの生活は悲惨だった。労災法の適用が3年で打ち切られた後は、とても働ける身体ではないのに坑内労働の復帰が強制され、それができない労働者は容赦なく解雇された。「三池CO訴訟」で会社の責任を認める判決が出たのは、事故から実に30年後の1993年だった。
三池炭鉱炭じん爆発事故は不可抗力による事故ではない。炭鉱内に浮遊する石炭の炭じんを常時除去したり、水の散布作業をしたりすれば回避できたのだ。能率と利潤を最優先して人員削減を続けてきた三井資本の、人を人とも思わぬ、法律無視の合理化方針がもたらした人災以外の何ものでもなかった。
トヨタ自動車は3・9兆円もの純利益(24年3月期)になりそうだが、戦後、「交通戦争」と呼ばれた交通事故の多発が、高次脳機能障害の主な原因となっていった。水俣病も経済性優先で環境や命をおろそかにした「社会が作り出した病気」だ。
「社会が作り出した障害」は医療の発展の追求は当然としても、なによりも社会的に解決しなければならない。患者を介護している家族の高齢化、さらに「親亡き後」はどうすればよいのか。今、社会保障の削減という流れの中で深刻さは増すばかりだ。
「頭部外傷や病気による後遺症を持つ若者と家族の会」が結成されたのは1995年。あれから30年経った現在、その輪は全国に広がり、「高次脳機能障害支援法」の早期実現を求めて闘っている。そのためにも三池炭鉱炭じん爆発事故とその闘いを風化させてはならない。

「支援法」制定を

集会の最後に参加者一同で「高次脳機能障害が、広く社会で認知され、当事者・ご家族への補償の充実、専門医・専門医療機関の拡充につながるよう『支援法』の制定を強く国会に求める」ことを決議した。(つづく)

写真出展:エル・ライブラリー/https://l-library.hatenablog.com/entry/20131103/1383392489