排外主地思想に抗し 理性の力で闘った人々

日本の「開国」を断行したのは、井伊直弼(なおすけ)ではなく松平忠固(ただかた)だというと、みなさん、「え?」と驚かれると思う。私もこの本を読むまでは知らなかった。
松平忠固は上田藩の藩主であり、日米和親条約と日米修好通商条約の締結時に老中を務めた人物である。そして決して不平等条約などではなかった。不平等条約を結ばねばならなくなったのは長薩の蛮行のせいである。そのことが豊富な歴史的資料をもとに展開されている。
そして、終章が面白い。一橋派正統史観の誤りを指摘し、日本は天皇を中心とした神の国であるという「国体」思想は水戸学から生まれているという。これに長薩の攘夷派が影響を受けた。日本全体を統治するにあたって、何ら正当性を持たない長州・薩摩政権にとって、異論を弾圧し、専制政治を貫徹するためには、天皇を神格化する「国体」思想は都合のよいツールだった。水戸学思想は「教育勅語」にも取り入れられ、明治以降の日本にずーっと影響を与え続けている。
関氏は主張する。「体制が危機に陥ると、為政者は、外敵の脅威を煽り、国家を臨戦態勢に置くことによって、国民を統治しようというなりあき斉昭(なりあき)的手法に手を染めてしまいがちになる。これは昔も今も変わらない。ゆえに、排外主義思想の蔓延に抗して、理性の力で闘った人々に光を当てなければならないのである。尊王攘夷運動の無智蒙昧さを反省することなく、それを美化するような風潮が今後も続けば『国体』思想は復活し、過ちはふたたび繰り返されるだろう」と。

女性の政治参加

また、過ちを繰り返さないためには女性の政治的参加が重要だと説く。明治になると女性たちは政治的意志決定の場から徹底的に排除され、1945年の敗戦に至るまで日本の女性は男性に従属するよう強制され政治的領域への参加を完全に閉ざされてしまった。この面では江戸時代より明治の方が後退しているのだ。ぜひ一読を。(池内潤子)