
1月18日に、「毎日映画コンクール」受賞作が発表された。映画『福田村事件』(森達也監督、脚本・佐伯俊道ほか)が、どの部門でも受賞しなかったのでホッとした。
『福田村事件』はテーマ、話題性、観客入場者数、そして日本の負の歴史に切り込んだ作品として、多くの人から称賛の声が上がっていた。何らかの部門賞を受けるかもしれないと思っていた。
映画はドキュメンタリーでなく劇映画として作られている。エンターテイメントな演出も必要だったのは理解できる。しかし辻野弥生さんが書いた「福田村事件」の内容とは違いすぎる。
福田村に暮らす女性の描き方。シベリアに出兵した夫がいない間に、船頭の倉蔵と不倫する妻。もう一人の村の女は、義父と不倫していた。濡れ場シーンもあるが、あのような描き方は、男の価値観で描いているとしか思えない。
事実に反する描写
薬行商団の描き方にも疑問がある。毎日新聞オピニオン欄(23年12月9日)に、「映画福田村事件の軽さ」を井上英介さんが書き、薬行商団の子孫の声を載せている。その子孫の人は、「行商を面白おかしく描き、ばか(ママ)にしていると思った」「がまの油みたいなニセ薬を売る設定だが、事実に反する。当時の行商はまっとうな商売をしていた」と述べている。
ハンセン病患者の二つの場面。一つは、橋の下でハンセン病患者にニセ薬を売りつけるシーンだ。ハンセン病の人からは、「本当か」というセリフだけ。人間として描いていない。二つは、行商の親方が「罪滅ぼしだ」とハンセン病のお遍路さんに、おにぎりを渡すところ。ハンセン病の後遺症で不自由になった手を特殊メークで強調している。
私は脳性マヒで小さい時から歩く真似をされ、じろじろ見られてきた。その経験からは障がいの、あのような興味本位の描き方は当事者の心を深く抉(えぐ)るものだと思う。脚本の佐伯俊道さんは「被差別民だから単純にいい人という図式はいやだった」と言っているが、二つのシーンが映画の物語にどんな必要性があったのだろうか。
「らい予防法違憲国家賠償訴訟」で命をかけ血の滲む思いでたたかい、原告が勝訴した(2001年)。当時の小泉首相の控訴断念という決断を受け、原告らは「これで人間になりました」と叫んだ。映画製作者には、そういうことが念頭になかったのだろうか。4月にDVDの発売が予定されている。せめてこの二つのシーンをカットしてほしい。
映画『福田村事件』には部落解放同盟、女性たち、在日団体、ハンセン病問題にとりくむ人たちからも、抗議の声が上がっている。(こじま みちお)
