
「巨大で複雑で破局的な問題を前にすると、人びとの対話はしばしば壊れてしまう」「どうすれば対話を取り戻せるか」と設問し、「非対称の『説明』(説明して理解を求める一方通行のやり方)から、対等なマルチステークホルダーの対話」を追求する。いわき市末続(すえつぎ)で地域に密着して放射線量を測り、地域の人びとと専門家との対話の場を設けた経験が星暁雄「壊れた対話を取り戻す」(『世界』2月号)に綴られている。
原発事故被災地の子どもたちを迎え入れる「保養キャンプ」でしばしば話題となるのが「被災地では保養の話ができない」「家族で非和解的意見の対立となる」などだ。
「住み続けるにせよ、避難するにせよ、他者からの強制は許されない」ということだ。放射線の勉強会で参加者が、「私たちはここに住めるのか、住めないのか」と詰め寄ったとき、「それを決めるのは、あなたです」と言われ、専門家と住民がいっしょに放射線量を測り、それが自分たちの許容できるリスクの範囲内か、そうでないかを考え「自分で決める」共同作業を行った。それは自分たちの被曝量を測定したグラフに自然放射線量の目安1・48μ㏜/日の緑の線と、年間1m㏜の追加を意味する4・22μ㏜/日の赤い線の2本の水平線を引くことだった。この二つの水平線の間が「許容できるリスクの範囲内」である。住民たちの被曝量はその間に収まっていた。こうして各人が「自分で決める」客観的な判断材料を手に入れたのだ。「賛同と拒否の判断を留保し思考し、対話する」あり方を追求するということらしい。「味方」と「敵」を分断する「白か黒か」の思考からの解放である。2極化対立の現代社会の対話のあり方について重要な示唆がある。(啓)
