
30年以上農政の第一線に立ってきた中村武彦さんのインタビューの最終回。「平均的なコメ農家はほぼ赤字なのに、コメ生産を続けている」という現実に凝縮されている問題点について考える。(文責・編集委員会)
――コメが大事なのはよくわかります。それが赤字経営だというなら、日本でも欧米のようにコメ農家へ直接所得補償をすべきではありませんか。
「水田を畑にしろ」
そこが複雑なところなのです。コメは50年も前から消費量が減少しており、国の管理から市場経済へと移行した中で需要を無視して作れば当然価格は下がります。そのため、減反とか生産調整という政策の下、コメから麦や大豆などに転作するための補助金をつけているのです。最近は転作ではなく麦や大豆を本作にするために、水田から畑地に転換するための補助金もつけており、それらの総額は3千億円を超えています。実はコメそのものに対する補助金は、価格が大幅に低下した際に過去の平均からの差額を補填するものにとどめられており、その額はわずかなものなのです。
もともと日本は温帯モンスーン気候で水が豊富。麦作は乾燥した地域に向いた品目で、どうしても海外産より品質で劣るのです。それこそアメリカやカナダから品質のいい小麦を安く買えばいいではないか、という話になってしまうのです。
またコメは個別経営で完結できますが、麦は粉に加工する必要もありコメと比べて生産や流通面でのハードルが高い。転作の補助金があるからつくるのであって、それがなければ経営が成り立たず、誰も作りません。
「それならコメをエサに転用しろ」ということで、10数年前から補助金をつけてエサ米の生産が行われています。しかし多くの畜産農家は品質の良い肉、卵、生乳をつくるために、輸入トウモロコシや麦(ふすま)を中心にこだわりのエサを配合してきたという経過があります。政策の後押しで、エサとしてのコメの一定の需要が作りだされましたが、今後大幅に生産が拡大するものではありませんし、主食用のコメとエサ米では価格が全く釣り合わず、ここに多額の補助金を投入するのは、現行農政の下では限界があると言わざるを得ません。
――赤字なのになぜ多くの農家はコメをつくるのでしょうか。
機械化が進んだ現在ではコメが一番手間のかからない作物なのです。また専業農家はともかく兼業農家はそれほど貧しくない。農業所得は確かに減っています。1994年に5・1兆円あった農業所得は、農産物自由化の流れを受けて2023年には3・1兆円まで減少しました。兼業農家の「農家所得」は「農業所得」と「農外所得」であり、これは平均的な勤労世帯よりも実は多い。コメ農家の多くは兼業農家で、自分のところで食べる分は自分で作りたいと、農外収入をつぎ込んでコメを作っているというわけです。
水田を守る農家の思い
生まれ育った地域を守りたいとか、資産として農地を維持したいとかいろいろありますが、 「先祖伝来守ってきた田んぼをつぶすわけにはいかない」という理由も大きいように思います。弥生時代の昔からつい数十年前まで、大変な年月と労力をかけて山間の谷地にまで田んぼをつくってきた。これを自分の代で終わりにできるのか、というのは重たいテーマなのです。
それでも経営が大赤字では、中山間地域の大半の農家は機械が壊れた時点でコメづくりは終わりとせざるを得ません。そこで、農家が組合や法人をつくって集団化してコストを下げたうえでコメや麦・大豆をつくり、収支トントンで水田機能を維持する、個々の農家は野菜をつくって直売所に出荷して生活費を稼ぐ、という「集落営農」というスタイルを生み出しました。これがある意味中山間地域の理想的な営農スタイルとなっています。そこまで必死になって田んぼを維持しているのですね。
「そんな農家の思いは非合理的でくだらない」というのが新自由主義の圧力です。経済同友会は、「5万軒の大規模農家に田んぼを集約して100万haの水田を耕作すればコメは足りる、あとはリストラすればいい」と試算しています。極端な話、平野部の多い北海道や東日本の水田を大規模経営にすれば、西日本の山間地農業はいらないと。
能登半島地震の復興策をめぐって「20年後に消滅する過疎地に税金を使うな」という意見があるけど、今でも限界集落と言われている地域が次々と消滅しつつある中で、近い将来「そういえば昔、○○県というところに人が住んでいたそうだ」という話になるのではないかとリアルに危惧しています。
子供の頃に見た懐かしい水田風景を守る、田舎の地域コミュニティを守る、というのはごく自然な思いです。ここまで来ると、農政という枠を超えた文明論的な課題だとも思えます。明快な答がなくて恐縮ですが、ぜひ皆さんも一緒に考えてみてください。(おわり)
