
「米国からの圧力」を軸に戦後を読み解いた『戦後史の正体』(創元社、2012年)の著者で元外交官の孫崎亨さんの講演会が2月11日、京都市内で開かれた。孫崎さんは「平和を創る道の探求」と題して、岸田政権の敵基地攻撃能力を軸とした大軍拡路線を鋭く批判した。(秋田 勝)
世界は変わった
「今や世界の情勢が大きく変わってきている」と孫崎さんは話した。それは、購買力平価で見たG7諸国の国内総生産(GDP)の総計を中国・ロシア・インドなどのBRICS諸国の総計が上回っていることに示されている。科学研究論文数の世界トップはいまや中国で、米国は2位に甘んじている。論文の質を示す引用数の統計でもトップは中国で米国は2位。日本はというと12位あたりで、韓国やイランの下位にある。これは「1980年代当時には考えられないような時代になっている」ということなのである。こうしたデータを日本の官庁が公式に発表しているにもかかわらず、「現代の日本は、こうした『正しい現実が語られない社会』になってしまっている」という。「それが一番に危険なことだ」と孫崎さんは指摘した。
たしかに経済だけでは世界は語れない。「しかし」と孫崎さんは続ける。「経済力の大きさは外交や軍事にも密接に関わっている。世界の歴史的変化に伴うひずみがウクライナやパレスチナ、そして台湾にあらわれていると見なくてはならない」のである。
日本社会の変化
日本の政治家のあり方や社会の雰囲気も大きく変わってきた。孫崎さんは、その一例として1975年の日本赤軍によるハイジャック事件をあげた。その時の人質解放の条件が刑務所で服役中の受刑者の釈放だった。当時の首相・福田赳夫は、「一人の命の重さは地球よりも重い」と言って、日本赤軍の要求をのんだのである。「法律よりも人質の解放が優先された。人の命が大切にされた。そして当時の日本社会はそれを受け入れていた」のだ。「ところが今の日本はどうだろうか」と孫崎さんは問うた。
真珠湾攻撃の末路
いま盛んに論じられている「敵基地攻撃論」については次のように徹底批判した。
「歴史的な事実を振り返ってみればよい。過去、最も成功した敵基地攻撃とは何か。それは日本軍による真珠湾攻撃だった。日本軍は先制的に米軍基地を攻撃し、米兵数千人を死傷させた。ところがこの後どうなったか。日本は第二次大戦で壊滅的な敗北を被り、数百万人の自国民を犠牲にした。これが敵基地攻撃なのだということを知らなければならない」と。
黙殺された安倍発言
続いて孫崎さんは22年のウクライナ戦争開戦直後の安倍元首相の発言に言及した。同年2月27日のフジテレビの番組で安倍氏は「ロシアがウクライナを包囲していた時、もしゼレンスキーが、NATOに加盟しないことを約束し、東部の二州に高度な自治権を与えることができれば戦争を回避することは可能だったかもしれない」「プーチンは領土的野心からではなく、ロシアの防衛、安全の確保という観点から行動を起こしている。もちろん私はそれを正当化しているわけではない。しかし彼がどう思っているかを正確に把握する必要があると思う」と発言していたのである。
「ところがこのような発言を安倍元首相がしていたことをほとんど誰も知らない。大手メディアは完全に黙殺した。安倍元首相は、当時でも安倍派のトップとして日本の政界に大きな影響力を持った人だ。プーチンとは直接に何度も会談し、国際政治の一次情報を数多く得ていた。また当時日本はG7の議長国として、国際政治に影響力を行使できる立場にあった。その安倍元首相のウクライナ戦争に関する重要な意見が黙殺された」。
また開戦直後の3月2日、自民党の高市早苗政調会長(当時)が「ロシアへの制裁強化」に言及していたことをあげて、「安倍氏の子飼いだった高市氏が、安倍氏の意見とは異なる立場を示したのだ。おそらく自民党の政治家たちは、安倍元首相以上の影響力を有する『存在』をわかっていたのだろう」と分析した。
銃撃事件への疑問
続いて話は、22年7月の安倍元首相銃撃事件に及んだ。「日本の元首相が暗殺されたにもかかわらず、事件の正確な解明はなされたのか。奈良県立医大の執刀医が記者会見で語った検分のようすでは、山上徹也の銃弾は安倍氏に命中しないことになる」という。
孫崎さんが山上主犯説に疑義を述べた著作を出版しようとすると、出版社は露骨に難色をしめしたという。そして「私はよく知られているように安倍首相の支持者ではない。誰よりも積極的に戦争法に反対し、反安倍の論陣をはってきた人間だ。しかしリベラルであれ保守であれ、真実を知ることには正しく向き合わなくてはならない。政治を語るものが、事実に目をつむっていたら、正しい判断はできない」と強調した。
日中共同声明が出発点
中国・台湾問題については、「歴史をきちんと見ることが大切だ」という。「何か事件が起きた時には、それ以前の歴史的経緯、とくに国同士でどのような取り決めが行われていたのかに踏まえて発言しなければならない。
日本と中国の間には、戦前の日本による侵略戦争があった。戦後は1970年代の日中国交回復と平和条約の締結がある。その時にどのような約束や話をしてきたのかが大切である。
72年の日中共同声明では、中国政府が日本に対する戦時賠償請求を放棄し、日本政府は『台湾は中国の一部』という中国の立場を『十分理解し、尊重する』と約束した。これは公式な取り決めだ」。孫崎さんはこの日中共同声明を出発点に中台問題を考えるべきだと話した。
日本への侵略はない
会場から「もしも外国から攻められたらどうするのか」と問われると、孫崎さんは「戦争のことをよく知ることが大事だ」と次のように回答した。「紛争には原因がある。北朝鮮問題であれ、尖閣諸島問題であれ、紛争の具体的な歴史を正確に把握し、お互いに妥協点を見いだす作業が必要だ」と。その作業は交渉によってしか成立しない。
さらに「現代においては、他国が日本を自国の植民地にするために攻め込むということはありえない」と断言した。「そもそも植民地経営は高くつくものだ。ソ連崩壊後、ロシアはカザフスタンやウズベキスタンを手放して、それぞれ独自の国作りを進めさせた。ソ連が両国を併合してきたことに伴うコストがばく大だったからだ。日本を併合するために他国が攻めて来るという考え方は歴史と現実をみていない。在日米軍や自衛隊が他国の侵略に対して抑止力になっているという話は全く根拠がない」。
事実に基づく分析
孫崎さんの1時間半にわたる講演には、私も同意するところが多かった。購買力平価GDPではG7の7カ国よりBRICS諸国5カ国の総計が上回っているという事実は、国際社会の重心が移動していることの現れだ。
東西冷戦が終わり30年以上たった。アメリカ一極主義の矛盾は至る所で噴き出している。世界の動きを理解するためには具体的事実に基づく分析が必要だ。
