三上智恵監督の映画『戦雲』は、沖縄戦を生き抜き、80歳半ばを過ぎようとしている山里節子さんが唄う「トゥバラーマの歌」から始まる。
彼女の創作歌詞は共通語に訳すると、「戦雲がまた湧き出てくるよ。怖くて 恐ろしくて 眠ろうにも眠れない。憎い戦争はならぬものだ」と詠い込まれている。トゥバラーマは、沖縄県の八重山群島に伝わる代表的な民謡。山里さんが現在の心境をトゥバラーマの曲に載せて歌った。
戦雲とは南西に連なる琉球列島の島々に自衛隊基地が作られ、民間の港から軍用車やミサイルが持ち込まれている状況であり、避難訓練が繰り返される今の状況をあらわしている。「台湾有事」を盛んに煽り立てる政府によって、沖縄では戦争ができる体制が「あれよ、あれよ」という間に造られた。
映画はこの現状を縦糸に、祭りや家屋に入り込む羊や行き場がなくなった與那国馬、カジキ漁などの生活の場を横糸として織り込まれ、戦雲ただよう宮古、八重山群島を始め琉球列島で闘う人びとの姿が浮き彫りにされている。

時々 晴れ間も見える

戦雲の漂いが顕著に見え始めたのは、辺野古新基地建設からである。反対運動の高揚期から数えて10年にもなる。だが、しだいに戦雲が覆う空にも時々晴れ間も見える。沖縄島東側に位置するうるま市石川東山地区にあるゴルフ場跡地。そこに陸上自衛隊訓練場建設とは。従来なら県民の反対にもかかわらず強引に、強権で進めていくところだが、少し雲行きが途絶える瞬間が見えるかもしれない。
時系列で示すと…。
1月14日 うるま市民会館でミサイル基地拠点化市民反対集会(県内各地から参集)
同日 陸自の軍事訓練場建設予定地である地元の自治会が、住民の全会一致で計画反対を決議。
1月15日 自治会長会議。出席の会長11人全員が旭区の反対決議に賛同。
1月31日 自治会長役員と石川市出身の市議、県議らが計画反対に向け、「有志の会」の立ち上げを議論。
2月2日 陸自訓練場、自治会長会(15自治会)が反対。訓練場は民家や教育施設に隣接しており、騒音なども懸念されるとの理由。
2月18日 知事、来沖の防衛相にうるま自衛隊訓練場を「白紙に」と要請。防衛相、撤回に否定的。
2月25日 元石川市議ら保革を超え結集。訓練計画の断念求めOB会結成。会長に元自民県議。
2月27日 県議会、自民県議が政府に「うるま訓練場白紙撤回」を要求。
2月29日 陸自訓練場 大幅見直しへ。

うるま市の島ぐるみ

戦雲から一条の光が射してきた。もちろんそれで安心はできない。すぐに戦雲が覆いかぶさるだろう。政府は別途の防衛施設への転換を考えると言い、防衛相は白紙撤回しないという。しかも、まだ重要な問題であるうるま市の勝連半島に建設の「ミサイル基地の拠点化」計画は解決されていない。
とはいえ戦雲の隙間ができたのだから、そこに思いを馳せることが大切。戦雲に隙間ができ、光がさす瞬間ができた原因は、平和を希求する市民の熱気以外には思い当たらない。
うるま市の島ぐるみは、その熱気を作り出す努力をしていた。集落への巡回写真展、映画上映、路上集会、署名活動などである。
全てを真似はできないが、その一つでも実行すれば反対運動が勢いよく燃え出す前の「埋もれ火」になることはできる。
映画『戦雲』に映し出されていた宮古、八重山群島の人びとの闘う姿は、燃え盛る火のようではなかった。だが、したたかで粘り強く、日常の生活の一端でもあるように見えた。きっとそれが「埋もれ火」になるのではないだろうか。
戦雲を払うことはできるという強い思いが「火」を保ち続ける。(富樫 守)