東埠頭第4ゲートの前でミサイル車両搬入に抗議する人びと=3月10日

ミサイル搬入

メールが届いた。「3月10日、中城湾港の西埠頭第4ゲートに朝7時集合」とのこと。読谷を6時に出発しなければならない。とすると5時すぎの起床となる。檄文には「勝連(かつれん)分屯地への地対艦ミサイル車両搬入を許さない」とあった。
自衛隊の勝連分屯地(うるま市)は、いま琉球列島の島々に急ピッチで造られている自衛隊基地の司令塔となる所である。その建設途中の基地にミサイルが搬入され、司令塔の機能を完成させようとしている。
うるま市の勝連基地は、市民が知恵を絞った反対行動のため、2月29日完成予定が延び延びになっている。「もう完成している」と思わせるための搬入なのか。なるべく「休養に心がけている」私だが、事の重要性は理解できた。幸い今は体調に問題はない。
10日朝、6時過ぎ自宅を出発、7時前にゲートに着いた。顔なじみがすでに陣取っている。7時半にゲートが開き、福岡から運ばれて来たミサイル関連の車両数台がすでに上陸しており、すぐ先に見えた。

座り込みと牛歩

集まった市民はその場に座り込んだ。警備の自衛隊員と「道を開けよ」「開けない」のやり取りが続く。7時半近く、市民側から「間もなく機動隊による排除が始まると思う。排除されたら前の道で牛歩しましょう」とアナウンス。私たちが、簡単に排除されないよう腕を組もうとすると、ゲートの先に待機していたミサイル関連の車両がバックし始めた。口々に「裏へ廻るぞ」との声があがり、急いで裏口に向かう。
かなり広い敷地であり、歩いては間に合わない。車で裏口に向かうと、そこで座り込んでいた仲間はすでに排除されており、「ミサイル関連車両は既に出た後…」と言う。数キロ先の勝連分屯地入口で止めようと車を走らせると、たちまち渋滞に巻き込まれた。のろのろと運転しながら分屯地に向かっていると、歩道で仲間らしき人が所々に立っている。聞けば「何台かは先に分屯地に行ったが、まだミサイル関連車両数台が後から来る」「その車両に牛歩をやっている」とのこと。
のろのろ運転は後続のミサイル関連の車両を止めることになる。ところが前立腺肥大の私は尿意を覚えた。反対車線にあるコンビニで用をたし向かおうとすると、ミサイル関連車両らしきものが通過した。「しまった」と思い追いかけるも、すでに分屯地の中に車両が入っており、排除された抗議の人たちが集会を行っていた。
結局、この日は150人ほどの参加者で4時間にわたって粘った。

沖縄は本土の防波堤

翌日11日の『琉球新報』1面左半分に写真を含め6段抜きで「抗議の中、車両陸揚げ」の見出し。小見出しに「中城湾港、ミサイル部隊発足向け」とあり、3面、22面にも記事がある。3面は「中国念頭『防波堤』担う」の見出し。小見出しは「ミサイル配備、南西諸島の司令塔に」だった。
リードには――陸自勝連分屯地への配備が迫る地対艦ミサイル部隊。沖縄本島では初となるが、県内では宮古島、石垣島、鹿児島県の奄美大島にもすでに配備されている。勝連には南西諸島の4部隊の指揮統制を担う「連隊本部」も置かれることになり、中国の太平洋側への進出を妨げる「防波堤」の役割を担う南西諸島内各部隊の司令塔として機能していくことになる――とあった。 
私たちの闘いは、琉球列島が再び戦いの島となることへの抵抗であった。

紙面にも「戦雲」が

11日の新聞紙面だけ見ても、琉球列島を覆う「戦雲」が想像できる。2面左端には6段抜き「小型船の岸壁使用許可」の見出し。「石垣市、米駆逐艦きょうから碇泊」と小見出しが付いている。11日に米海軍のミサイル駆逐艦が石垣港沖合に碇泊する。沖合から乗員を石垣港に運ぶ小型船が使用する岸壁を石垣市が許可したことである。これに対し、港湾組合はストライキをするという。
同3面には「米軍ヘリ緊急着陸」の抜き見出し、「与論空港、普天間所属、訓練中」とある。同じく3面、「沖永良部島で日米が初訓練」とあり、小見出しは「離島奪還想定」である。「宮古島陸自ヘリ墜落の原因が特定できず」の記事もある。戦雲は辺野古にも漂っているのだが、11日の新聞には載っていない。なんとも、うっとうしい沖縄の現状である。
15日は、県庁の市民広場でオスプレイ飛行に対する抗議集会、18日は、ミサイル弾が那覇港に空輸され公道を走り勝連分屯地に入るらしい。辺野古、安和、塩川や海上では毎日、抗議が行われ、参加者を待っている。
♪春は名のみの 風の寒さや …  (富樫 守)