
「原発のない社会へ 2024びわこ集会」が3月9日、滋賀県大津市の膳所(ぜぜ)公園を中心に開かれ、500人が参加した。
連帯のあいさつは米原市の平尾道雄市長。市の原発事故への対応は、直ちに県外に避難する計画を検討しており、安定ヨウ素剤の備蓄も確保し、子どもへの服用に同意した親はすでに96%になっているという。そして「国の原子力災害対策指針は不十分。住民を守るためには自治体が対応する必要がある。原発を廃止して安全な社会をつくるためには、選挙で勝たねばならない。勝つことはできる、投票率を上げよう」と訴えた。
三つの幸運、二つの教訓
基調報告は弁護士の井戸謙一さん。「能登半島地震の三つの幸運と二つの教訓」について話した。
幸運の一つ目は、志賀原発が強い地震動から免れたこと。志賀町北部は、震源断層から20キロ離れたとぎ富来川南岸断層が連動し、震度7という最大級の揺れが襲ったが、原発のある志賀町南部は震度6弱にとどまった。
二つ目は、珠洲市から輪島を通って志賀町まで86キロにわたる海岸が隆起したが、幸いにも原発周辺は免れた。
三つ目は、志賀原発から約10キロ北の富来観測点では、極短周期の応答加速度が1万ガルを超えていた。これが原発を直撃していたらひとたまりもなかっただろう。
続いて教訓の一つは、人間は地震、津波、火山などについて知らないことが多いということだ。
活断層の規模、活動時期、活動した時の揺れの程度などもよくわかっていない。地震計が張り巡らされたのは阪神大震災以降で、30年もたっていない。2千年に一度の地震のことなどわかるわけがない。珠洲市には、全部で1000万キロワット、10基前後の原発を作る計画があった。計画を止めた珠洲の人たちは日本を救った。
二つ目の教訓は、避難計画は「絵に描いた餅」にすぎないということだ。屋外でも屋内でも避難できなかった。過酷事故が起きていれば、住民は被ばくするに任せるしかないという状況だった。
現在、国内で稼働している原発は12基、40年越えで動いているのは3基。同じ揺れでも老朽原発の方が壊れる可能性が高い。
国のウソに騙されるな
原発事故当時、福島県内には18歳以下の子どもが38万人生活していた。事故後、甲状腺がん患者は公表されているだけで370人。子どもの甲状腺がん発生数は年間で100万人に1~2人と言われており、福島県の発生数は異常に多い。
それでも国も東京電力も原発事故との因果関係を認めていない。7人の甲状腺がんの若者が損害賠償訴訟をおこなっている。原発を動かしたい勢力は、被ばくによる健康被害を小さく見せようとする。病気になった人には、「被ばくが原因ではない」と言い、避難した人には、「住民の健康被害はないから帰ってこい」と言う。この宣伝にだまされてはならない。
井戸さんは「天災は忘れた頃にやってくる。原発事故はだまされたときにやってくる。能登半島地震の警告を受け止め、原発のない社会を目指そう」と訴えた。 (多賀)
