関東大震災から100年目の昨年は、朝鮮人虐殺を描いた映画『福田村事件』が話題となったが、虐殺の犠牲者の中には社会主義者や無政府主義者もいた。女性解放闘争の先駆者であった伊藤野枝も、夫の大杉栄とともに警察署内で拷問の上、殺害。遺体は古井戸に遺棄された。享年28。
その伊藤野枝を描いた映画『風よ あらしよ』が全国の劇場で公開中である。これは2022年にNHKで放送された吉高由里子主演のドラマの劇場版だ。


天皇制下の抑圧
野枝が生きた100年前の日本は、海外では日清・日露戦争をへて朝鮮・中国侵略に踏み出し、国内では天皇制絶対主義体制の下で極端な男尊女卑の家父長制度が女性を抑圧していた。女性の地位は近代天皇制の下で江戸時代よりも低められたという。
野枝は日清戦争の講和条約が結ばれた1895年に福岡県の貧しい瓦職人の家に生まれた。よほど利発だったのだろう、野枝は叔父の援助で東京の上野女学校に入学。卒業後帰郷し、親によって強制的に結婚させられたが、9日目で婚家を出奔し東京に戻った。東京では女学校時代の教師である辻潤の家にとび込み同居する。辻潤は翻訳家、思想家で日本のダダイズムの中心的存在だったが、1944年、自宅で餓死しているのが発見されている。
野枝は女性が自我を確立するためには、世間からどのような攻撃にさらされようとも、夫と家族からの解放、家父長制との命がけの対決が必要であると身をもって体現していった。そして女性蔑視の社会に抗して、男性の権威を否定し、女性の自立を訴え、言論の力で因習に立ち向かう月刊誌『青鞜』にかかわり始める。『青鞜』は創刊号で平塚らいてうが「原始、女性は実に太陽であった」と高らかにうたい、1911年9月から1916年2月まで全52冊を発行した。
『青鞜』創刊号には、「山の動く日来る」で始まる与謝野晶子の詩「そぞろごと」が掲載された。その78年後、参院選(89年)で22人の女性が当選して改選第一党となった社会党の委員長・土井たか子は「山が動いた」という名言を残した。土井の念頭に晶子の詩の一節があったことは言うまでもない。

「赤瀾会」の結成へ
野枝は辻潤との間に二人の息子を生むが、次第に辻から気持ちが離れていく。その原因がダダイズムのニヒリズムとの思想的なすれ違いによるものかどうかなど、記録が残されておらず残念である。野枝が次にパートナーとして選んだのがアナーキストの大杉栄だった。妻がいた大杉との同居は自由奔放であるとともにスキャンダラスでもあり、世間から「淫乱」「国賊」と罵られたが、野枝のほとばしる自由と解放を求める情熱はとどまることはなかった。
「畳の上では死ねない」と語っていた野枝は1921年、女性の窮乏・無知・隷属からの解放を掲げて、山川菊栄たちと日本最初の社会主義女性団体「赤瀾会」を結成する。「赤瀾会」は検挙・投獄など権力の弾圧で自然消滅させられてしまうが、差別社会の中でひたすら自由と権利を求めた女性が、家制度の束縛をかなぐり捨てて、悩み、あがき、ダダイズムと出会い、アナーキズムに触発され、社会主義女性団体を結成し、女性として革命家として成長していく姿は、眩しいかぎりだ。この2年後に憲兵に縊(くび)り殺されてしまったのが無念でならない。
家父長制との闘い
野枝たちが立ち向かった家父長制とは何か。特に男性の読者に理解していただきたい。100年前、女性が自分の意見を述べようとする時にまずぶち当たるのが家父長が絶対的な権力をふるう「家」である。こことの対決から始まり、その堅固さに疲れ果て、結局は敗北して引き下がる。もしもそれ以上に抵抗を続ければ、「非常識」「アバズレ」とレッテルを貼られ、世間を敵に回すことになる。この時代に女性が「家」を出て経済的に自立する道はまずない。現代においても私たちは「女のくせに」「女やから」と言われながら育ってきた。こうした家制度を社会的基盤にして、天皇制国家が成り立ち、その下で徴兵制と侵略戦争が遂行されていったのだ。
結婚に際しては「処女性」や「純潔」が、結婚後は「貞節と忍従」が女性だけに求められた。舅、姑に仕え、夫に仕え、家族の誰もよりも早く起き、家事、農作業、子育てに明け暮れ、床につくのも家族でいちばん遅い。「老いては子に従え」「女三界に家なし」(女は広い世界のどこにも安住するところがない)と言われた。加えて「生意気だ」という理由だけで夫の妻への暴力が許されていた。私の叔母が死ぬまで前歯がなかったことを思い出す。

「道徳・倫理」の打破
実は『未来への協働』紙の記事で引っかかっていることがある。2月14日付383号の「映画『福田村事件』に疑問」という投稿だ。そこには、「福田村に暮らす女性の描き方。シベリアに出兵した夫がいない間に、船頭の倉蔵と不倫する妻。もう一人の村の女は、義父と不倫していた。(中略)あのような描き方は、男の価値観で描いているとしか思えない」とあった。私はこの一文を読んで「どこが『男の価値観』なのか」と頭を抱えてしまった。
夫がシベリアに出兵中の女は、どうすればよかったのか。おとなしく舅・姑に仕え、「貞節」を守っていればよかったのか。「銃後の母」「良くできた嫁」と言われて、戦争と天皇制を支えていた「家制度」を守っていればよかったのか。妻にとって夫は支配者であり抑圧者でもある。戦場の夫を偲ぶ妻もいれば、憎む妻もいるだろう。夫を偲ぶことが「人のみち倫」「世の道徳」という主張だとすれば受入れがたい。兵隊である夫に対して「安心して戦ってください(敵を殺してください)。家は私が守りますから」と言うことが正義なのか。もちろん投稿者(男性)がそのような主張をしているとは思わない。投稿記事で指摘された薬行商団やハンセン病患者の描き方への疑問はとても重要な視点だと思う。
その上でもう一言いわせてもらうと、投稿者は「不倫」を問題視しているようにうかがえるが、その書きぶりだと、不倫を働いているのはあくまで女が主語であって、「船頭の倉蔵」や「義父」という男の方が、「妻」や「村の女」と不倫しているという発想は見受けられない。はからずもそこに潜在的な差別意識があらわれているのではないだろうか。
差別・抑圧が存在する社会で語られる「道徳」や「倫理」はけっして普遍的なものではない。それは往々にして権力者の支配の道具である。最後に、伊藤野枝の血叫びを聞いて欲しい。
あゝ、習俗打破! 習俗打破! それより他には私達のすくわれる途はない。呪い封じ込まれたるいたましい婦人の生活よ! 私達は何時までも何時迄もじっと耐えてはいられない。やがて――、やがて――。
伊藤野枝「貞操についての雑感」(1915年)より
(当間弓子)
