最近、救急車で病院に運ばれ、医者から脳梗塞があると言われた。処置が早かったので良かったとも付け加えられた。それ以後、死というものを身近に感じるようになったし、座込み仲間の死去の報を受け取るアンテナ、感度が鋭くなった。彼らは中島みゆきが歌う「地上の星」とおもえるのだが。何処へ行ったのだろうか。
沖縄の村落に伝わる神歌(ウムイ)では、仲間の神女(しんにょ)が亡くなれば
「月のばんた(崖)、てだ(太陽)のばんたを越え給いて 
大勢の神人(かみんちゅ)に拝まれながら
赤馬、黒馬に召し乗られて
板門、金門に召し入られ」(注1)
と歌って見送る。死去した神女は金の門がある場所に行くのである。今はその場所を極楽と言うが、古くはニライカナイと言ったであろう。久高島では「ニルヤリューチェ」「ハナヤリューチェ」と歌っている。(注2)

青の世界

「ニルヤ」とは「ニライ」、「ハナヤ」とは「カナヤ」で「カナイ」のこと、「リューチェ」とはわからないが、青い海の中にある竜宮を語源にした言葉であろうか。つまり「ニルヤ・ハナヤ」は海の彼方、青の世界である。
昨年11月23日、「沖縄を再び戦場にさせない、軍備増強に反対する大規模集会」が那覇市の奥武山(おうのやま)陸上競技場で行われた。「奥武山」の文字を県外からの参加者はどう読んだのだろうか。多分「おくたけやま」と読んだと思うが。地元では「おうのやま」または「おおのやま」と読む。
なぜそう読めるのか。奥は「おう」と読める。奥州(おうしゅ、おおしゅう)の事例がある。武はどうだろう。武蔵(むさし)の例があり、武は「む」と読めるが、「ん」まではどうだろうか。沖縄では喜屋武(きゃん)のように「ん」に、武を充てているので奥武を「おおん」「おうん」とまでは読める。さらに「山ん婆(やまんば)」のもとは「山の婆(やまのばあ)」に由来するとなれば、「の」は「ん」に変化し、逆に「ん」が元に戻って「の」となっても違和感はない。したがって「奥武山」が「おおんやま」や「おおのやま」と読むことができる。

光が消える果て

ところで奥武山の「奥武」と名づけられた地名は、沖縄では他にもある。南城市にある奥武島(おおじま)や久米島の畳石がある奥武島、屋我地島(やがじ)の奥武島、慶良間(けらま)諸島の無人小島群である奥武島などである。これら奥武の地名が着くところは、集落から海、川に隔てられながらも集落のすぐ近くにある。あの県民集会の会場であった奥武山も、以前は国場川の中州にあった。伝承も加味して考えると、そこは風葬される死者を安置した場所であろう。しかし、奥武島、奥武山は集落からほんの少しの距離ではあるが、観念の内では遠い所にある。テダ(太陽)の光、月の光が消える果てにある。
名護市の東海岸側に位置する安部(あぶ)集落。ちなみに2016年12月にオスプレイが海上に落ちたのは、この安部の海であるが、その安部崎から100m離れた所にオールー島がある。ここには他所から墓参りに訪れると言われるが、オールー島の「オー」は奥武島の「おー」と同じ意味との見方があるという。「オールー」は沖縄では「青色」との意味であり、「おお」そのものが「青」を指すので、死者の行くところの「奥武(おお)島」は「青島」である。死去した神女が行く所である「ニルヤ リューチェ」「ハナヤ リューチェ」、つまり「にらい かない」も、青の海の彼方にある。

地上の星

ただし、青色の範囲は広い。信号機の緑色も「あお」信号と言っているし、青すぎて黒に近い青もある。月の光の果て、太陽の光の果ては紺碧の冥府なのだろう。「地上の星」たちは、その紺碧の中で光っている。
♪辺野古ゲート前のすばる 高江の森の銀河 みんな何処へ行った 見送られることもなく 辺野古海上のペガサス 街角スタンディングのヴィーナス みんな何処へ行った 見守られることもなく 地上にある星を誰も覚えていない 人は天上の星ばかり見てる つばめよ 高い空から教えてよ 地上の星を つばめよ 地上の星は今 何処にあるのだろう♪ 〈中島みゆき・作詞作曲、リライト・富樫〉(富樫 守)
(注1)「日本庶民生活史料集成」第19巻229ページ、(注2)「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」40ページ