
昨年10月7日に勃発したガザ戦争によって、ドイツ社会は大きく変容した。今ドイツでは、「イスラエルへの無制限の連帯」が社会を覆いつくし、ガザにおけるジェノサイドを黙認している。この問題をどのようにとらえるべきか。ドイツ現代政治と平和研究が専門の木戸衛一さん(大阪大学招へい教授)が講演した。(3月24日、大阪市内)
戦後ドイツ政治の限界
ドイツ基本法第1条は「人間の尊厳は不可侵である」と謳い、戦後ドイツ政治の道義性や倫理性、その普遍性を示してきた。ところが、「いまやその限界があらわになってきている」という。
最近のドイツの世論調査では、イスラエルの軍事行動を「正当化できない」とする回答が7割近くに上っているにもかかわらず、政府の「イスラエル支持」に少しでも疑義を唱えればたちまち「反ユダヤ主義」のレッテルを貼られて糾弾されるのが現在のドイツだ。
ショルツ独首相は昨年10月26日、「イスラエルは民主主義国家で、非常に人道的な原則に導かれている」と述べた。木戸さんはこの発言の中に、「自分たちこそは文明・民主主義であり、あいつらは野蛮・独裁・テロリズムだ」という対立図式が明瞭に見て取れるという。それは19世紀以来の白人社会が持っている植民地主義の思考であり、それが今日のドイツ政府の中に生きているのだ。
第一次大戦まで英仏に次ぐ植民地大国だったドイツは、1904年から08年にかけて、ドイツ領南西アフリカ(現在のナミビア)で大虐殺を行った。土地を奪われ蜂起したナマ人とヘレロ人を徹底的にせん滅したのだ。そのとき生まれたのが強制収容所だった。「強制収容所」はナチスの発明ではない。
「こうした暴力の歴史をどれほどのドイツ人が認識しているだろうか」と木戸さんは疑問を投げかける。戦後ドイツでは、スターリンの大粛清やポル・ポトの大虐殺などを引き合いにだしてホロコーストを相対化する動きを、「ホロコーストを他と比較することはできない」と批判してきた。そのことがかえって「自分たちの過去の暴力の歴史まで封印し、植民地主義を温存することになった」と指摘する。
エンパシー(共感)
「ベルリンの壁崩壊」以来、ドイツでは「武力で平和は守れない」が平和運動のスローガンだったが、今や「武力による平和」に変わっている。こうした、日本を含む西側諸国の軍事化の動きに抗する反軍国主義のコンセンサスを世界の流れにしなければならない、と木戸さんは強調する。
グローバルサウスが台頭する中、西側諸国が「普遍的価値」と称してきたものは完全に行き詰まっている。その中で、日本の平和運動の課題は「憲法9条に魂を吹き込み、攻勢的に打ち出すべきだ」という。戦争を生き延びた人たちの「こんな思いは誰にもさせたくない」という願いは、普遍的なものだ。日本やアジアの民衆に塗炭の苦しみを味わわせてきた天皇やその加担者たちは、戦後のうのうと生き延びてきた。一方、9条は被害者・犠牲者の側に立つという意思表示である。そのエンパシー(共感を持つこと)こそが、9条に魂を吹き込むということなのだと。(深田)
