
患者の興奮が激しく自傷他傷の心配があり、百歩譲って身体拘束がやむを得ない場合でも、イギリスで実践されているように、必ずベッドサイドに見守りの看護師を配置すべきである。拘束が医療の一環だというのならば、当たり前のことである。
忘れられない事件がある。日本が大好きというニュージーランドの27歳の青年、ケリー・サベジさんが、来日後に興奮状態になって精神科病院に入院し、拘束された。精神が落ち着いてからも拘束を外してもらえない。その時の看護師の言葉が恐ろしい。「医師の許可がなければ外せません。いまはゴールデンウィーク中で、医師は長期休暇を取っているので、休暇明けに指示を仰ぎます」と答えたのだ。結局、サベジさんは10日間縛り付けられたままで、エコノミークラス症候群で死に至った。
精神科の拘束は普通の人の想像を絶するものだ。手も足もベッドにしっかりとくくり付けられ、その上に腹部をベルトで縛り付けられる。患者は全く身動きが取れないため、オムツを着けられる。
自身が精神障がい者でもあるY医師は次のように語る。「身体拘束による身体弊害は、関節の拘縮、筋力の低下、食欲の低下に加えて呼吸循環機能の低下、血流うっ滞による静脈血栓(エコノミークラス症候群)、ストレスによる不整脈等の増加など致命的なものも多い。拘束は日本では21世紀になって倍増。一日一万件以上と10年前の2倍になっている」。
「処遇困難」の患者が増えたわけではない。真相は患者に正しい治療をせず、「処遇困難」のレッテルを貼って病院や医師が拘束患者を増やしているのだ。そうすれば看護はなおざりにされ、仕事は楽になる。病院としては人件費をカットできる。自ら希望して入院したある女性患者は、一度も暴れたことがないにもかかわらず1週間も拘束された。彼女のカルテには「複数人でも手がつけられないほど暴れまくる」と書かれていたという。
精神科特例
「精神科特例」というものがある。1958年厚生省(当時)の事務次官が「精神科病院従事者の定員は一般病院に比して医者は3分の1、看護師や准看護師は3分の2でよい」という特例を決めた。「精神科病院の急増が国の要請」というのがその理由だ。国庫補助が設けられ全国に民間精神科病院が粗製乱造された。精神科特例は医療の充実とはまったく逆だ。露骨な差別だ。むしろ一般病院よりも豊富な人材が精神科には必要なのだ。
「拘束の場合はベッドサイドに常時看護師の見守りが必要」と前述したが、「看護師は忙しくて、そんなことができるか」と言う人が多いだろう。しかし拘束で殺された患者は何人もいるし、ある女性患者は、40日間拘束されて両手の指が筋固縮で曲がったままとなり、精神疾患を抱えるだけでなく身体障がいになった人もいる。これ程危険な処置であるならばどれだけ忙しくても看護師の見守りは絶対不可欠だ。それなのに、そこに差別的な精神科特例が立ちはだかっている。
恥ずかしいことだが、私は以前「暴れる患者を押さえつけたり、ベッドに拘束したりするのは仕方がないのでは」と思っていたことがある。そうするとある男性患者がこういった。「抱きしめてくれてもええやんか」と。私は一瞬、「えっ」と思ったが、次の瞬間、彼の言いたいことが胸に染み通るように伝わってきた。
患者を抱きしめる
精神病患者が暴れるのは、暴力事件の犯人とは違う。他人を傷つけるのが目的ではない。患者が興奮状態や錯乱状態に陥り、暴れてしまうときも「殴る、蹴る、ベッドに縛り付ける」ではなく、肩に手をやり、背中をさすりながら落ち着かせ、手をとってじっくりと話を聞く …… それこそ必要な医療なのだと、心を病んだ人に心安らかに過ごせる環境を提供するのが精神科医療ではないかと、その時教えられた。今はその正しさを確信している。そうした医療を実現するのも闘いが不可欠だ。
次回は、神出(かんで)病院と兵庫県精神障害者連絡会の闘いについて触れたい。
神出病院事件の第三者委員会報告を、当時の神戸市の保険課長は、「気分が悪くて読み進められなかった」という。その凄惨な実態には言葉を失う。(つづく)
