
世界史にとってアメリカとは何なのか
2024年に、アメリカ大統領選挙が実施される。世界の多くの人びとが、この帰趨を見守っている。しかし、今私たちに必要なことは、大統領選の結果に一喜一憂するようなことではなく、そもそもアメリカ合州国とはどういう国なのかということへの根本的な問いかけではないだろうか。2016年に出版された『アメリカ 異形の制度空間』(西谷修著)を参考に、アメリカ史の断片について紹介をしたい。
異質な成り立ちと文化
現代の国際政治、国際社会を考えるとき、アメリカ合州国という存在を抜きにして語ることはできない。17世紀初頭にイギリス植民地としてはじまったアメリカ合州国は、ユーラシアやアフリカの社会とは全く異なった成り立ちと文化をもって現代に至っている。アメリカ合州国とは、当時のイギリス人植民者が、独特の理念を掲げ、きわめて「目的意識的」な社会形成をおこなってきた「異形の制度空間」だ。
現在アメリカに住む人びとは、先住民の子孫を除いて、すべてこの数百年のあいだにヨーロッパやアフリカ、アジアの各地から植民者として、また移民として、またはアフリカ大陸からの奴隷として、あらたにアメリカ大陸に渡ってきた、もしくは移住させられた人びとによって構成されている。「アメリカ」という名称そのものが、ヨーロッパ人の恣意的な「名付け」に基づいている。
初期の植民者たちは、神という存在を掲げ、「明白な運命」という傲慢なイデオロギーをもって、自分たちと違う人種や異なる文化や言語をもつ人びとを絶滅させてきた人びとだ。そもそもこの大陸にはヨーロッパと異なる文化をもった社会がすでにあった。ところが16世紀以降、イギリス人が入植しはじめると、先住民の土地を奪い、人びとを西へ西へ追い立て、殺りくし、植民者の領域を拡大してきた。
暗黒の植民地史
現代に続くアメリカ社会の支配層の意識の根底には、このアメリカ植民史がしっかりときざみこまれている。一九世紀にアメリカ社会を観察したフランス人のトクヴィルは、著書『アメリカのデモクラシー』の中で、「国民はいつまでもその起源を意識する。国民の誕生を見守り、成長に資した環境はその後の歩みのすべてに影響する」と書いた。特に新しく国家建設をおこなったアメリカにおいて顕著だ。
19世紀から20世紀は、ヨーロッパの強国が、アジア・アフリカを植民地化し、宗主国が植民地総督を配置し、被支配民族を搾取・抑圧してきた歴史があった。帝国主義の時代である。そこでは先住民が宗主国の軍隊と官僚に政治的に支配されていた。
しかしアメリカ植民地では、先住民から土地を奪っていくことが主目的であったために、土地の略奪に反抗した人びとは、植民者たちによって皆殺しにされていった。もしくは居留地という制限された区域に閉じ込められていった。
ヨーロッパの植民者は、自分たちの思想でしかない「自由」と「私的所有権」を持ち出し、これまで先住民が共同利用してきた土地を勝手に区画し直していった。植民者が柵をつくり占有権を主張したとしても、その自分勝手な「私的所有権」を認めない人びと(先住民)が存在し、それに反対の意思を示すのは当然であった。ところがアメリカの植民者たちは、自分たちがきめたルールを持ち出し、相手の反抗を意図的に誘い出し、そして敵として殺りくを実行していった。
近代思想への疑い
20世紀からのアメリカの国際政治も基本の考え方は同じだ。自分たちが作ったルールを振りかざし、相手を敵とみなし、皆殺しにするものだ。第一次大戦、第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム、イラク、アフガニスタンでおこなわれてきたことは全く変わらない。17世紀以来のアメリカの植民者たちの歴史が、アメリカの正史である限り、その思想は確実に現代まで引き継がれている。
たしかに21世紀の現代世界で語られる「自由」と「私的所有権」の考え方は、すでに普遍化し、世界の共通語となり、私たちの意識の中に当然のように刻み込まれている。世界の多くの地域で社会の規範になっているのかもしれない。しかしこの思想は、もしかしたら、アメリカ大陸への植民者たちによって例外的に成立した「異形の制度空間」の思想でしかないのではないか。そしてアメリカ合州国が世界の覇権国となったことで、その制度空間の世界的な拡張がすすめられているだけなのかもしれない。
戦争行為を主導するのは植民地主義の思想である。アメリカ合州国の建国史は、植民地主義そのものだ。
戦前日本の朝鮮半島や中国大陸への侵略は、欧米の植民地主義を必死に学んだ結果だった。
私たちは、まず第一にアメリカ合州国を疑い、日本の近代思想を疑い、その根本をひっくりかえしていくことが必要なのではないか。(秋田 勝)
