「アジアから問われる日本の戦争」展(4月27・28日、大阪市内)

かつての戦争、いま起こっている戦争について考える「アジアから問われる日本の戦争」展(4月27・28日、大阪市内、写真上)で、沖縄から来たキム・ヒョノク(金賢玉)さんに「ぺ・ポンギ(裵奉奇)さんとの交流」について話を聞きました。
ペ・ポンギさんは日本による「韓国併合」後の1914年生まれ。韓国では多くの人たちが日本の侵略によって土地や家を奪われました。29歳のとき咸鏡南道(ハムギョンナムド)の興南(フンナム)に。そこで日本人が傍若無人に振舞っていました。
ペ・ポンギさんは、紹介人にだまされ慰安所に送られ、日本の敗戦が迫ると沖縄の渡嘉敷島に連れていかれました。敗戦後は米軍の石川収容所に、沖縄の「本土復帰」後は日本から棄てられます。「復帰」後3年で国籍のない人は強制送還されることになったのです。
ペ・ポンギさんは韓国に送還されることをとても恐れました。それを知った近所の人が身元引受人になり、特別在留許可を受けることができました。しかし「慰安婦」であったことが週刊誌などに知られ、とても辛い日々を余儀なくされます。
そのころ西宮市の女性同盟で活動していたキム・ヒョノクさんが、朝鮮人の人権と命を守るために沖縄に行くことに。しかし、誰も信じられなくなっていたペ・ポンギさんは、心を閉ざして会ってくれません。それでも、心を和らげるための花や贈り物を携えて通ううちに、ペ・ポンギさんは少しずつ心を開いていきました。キムさんの活動を手伝ったり、自分の生い立ちを考えたりする中で、朝鮮が日本に侵略され酷い目に会わされたのだと分かるようになりました。ソウルオリンピックのとき、「韓国に行こう」と誘われましたが、「行けないよ!」「故郷に行けるわけがないよ!」と大粒の涙を流したそうです。
日本軍は、このように人の命も心も踏みにじったのです。「日本はしっかりと反省し、二度とこのような辛い人生を送る人たちをつくってはならない」「昭和天皇は、なぜ謝罪せずに死んだのか。戦争を始めたこと、朝鮮を侵略したことに抗議する」というペ・ポンギさんの言葉をキムさんが伝えてくれました。
晩年のペ・ポンギさんは同胞たちの活動や優しさに触れるなかで朝鮮人の魂を取り戻し、穏やかな最期を迎えたそうです。それを聞いて私は少しだけ救われる思いがしました。キム・ヒョノクさん、ありがとうございました。ペ・ポンギさんを忘れないように生きていきます。 (石川豊子)