
女性器切除(FGM)とは、アフリカやアジア、中東にわたって行われている施術であり、2024年現在、世界中で2億3000万人の女性が施術の経験者である。
この慣習は「著しい人権侵害、究極の女性差別」と問題化され、国連は根絶に向けた活動を重視しているが、この7年間だけを見ても3000万人の施術経験者の増加が見られるように、その根絶は遠くて長い困難な道である。FGMは家父長制の下にある父親の命令だけではなく、むしろ母親が積極的に関与し、「少女から大人へのステップ」「不可欠な儀式」「施術しなければ結婚できない」という強固な伝統や宗教心が影響している。各国・各地域によって状況の違いはあるが、不衛生な環境で麻酔も消毒もせず、泣き叫ぶ少女を押さえつけてカミソリで切除するのが一般的である。
この慣習に反対することは、村から排除されて蔑(さげす)まれることとなり、従わざるを得ない。逃げ出して保護施設に駆け込む少女が絶えない。宗教上の義務と信じ込まれている場合が多いが、イスラム教などが発祥する以前からの伝統という説が有力である。
切除施術の実態
施術のやり方や程度は色々あるが、クリトリスと大陰唇や小陰唇を切除したり傷つけたりする。さらに膣口を狭小化したり、縫い合わせたりすること(ファラオニック)も多く見られる。
生後すぐから初潮を迎える前の少女たちが対象とされる。切除後の苦痛は激しく、再び歩いて生活できるまで数カ月を要する例もある。感染症や出血多量で死に至ることもある。女性器の正常な機能が失われて、生活に困難を来したり、深刻な病気になったり、ショックでトラウマとなり一生涯引きずる女性もいる。出産時の危険性も高く、赤ん坊の死亡率も高い。
なぜこんな慣習が何千年も生き続けているのかと腹立たしい。縫合された膣は結婚初夜に夫により切開される。これらの施術の目的は、女性から性的快感を奪い処女性や貞操を守るためであると言われている。

FGM非難への異論
6月2日の朝日新聞がほぼ1面を使って、この慣習についての記事を掲載した。その内容にそって私の意見を述べたい。2012年の国連総会でFGMが人権侵害に当たるとして禁止する決議が採択された。各国政府やNGOの取り組みもあるが、移民や難民の増加でこの問題は欧米社会にも身近な問題として浮上してきた。もはや遠い外国のことではないのだ。
英国では施術に関与したものに対し実刑判決で厳しく罰しているが、表面化したものは氷山の一角とみられている。ユニセフ(国連児童基金)も2030年までにこの慣習をなくすのは絶望的と発表した。
また一方で、国際的なFGM非難に「異議を唱える論争」が生まれている。異議を唱えているのは医師や大学の研究者などインテリ層の有色人種の女性たちだ。彼女たちは「私たちの慣習は野蛮で、欧米先進国女性の(小陰唇を切り取って縮小する)美容整形は野蛮ではないのか」と主張する。「それは違う! 何よりもFGMでは本人の意思が無視されているではないか!」と反論したいところだが、彼女たちはそんなことは百も承知の上だ。その主張の根本にあるのは、FGM非難運動の中に見られる、欧米先進国の価値観や白人の自文化中心主義に対する糾弾である。アフリカやアジアやイスラム諸国の文化や伝統を頭ごなしに野蛮と決めつけ、尊重しないことに対する怒りである。
16世紀から19世紀の奴隷貿易では1200万人以上のアフリカの人びとが大西洋を越えて奴隷として運ばれた。船底にぎっしりと詰め込まれた過酷な「輸送」で4人に1人が亡くなった。
「その歴史に踏まえた上でのFGM批判なのか、野蛮はどちらなのか」と彼女たちは糾弾しているのだ。近年、切除施術は徐々に軽度なものになってきており、その流れを前提として彼女たちは語っているのだと思う。グローバルサウスといわれる国々が政治的経済的に力をつけ、それをも背景にして、先進国の白人中心文化に屈従する時代は終わろうとしている。FGMには断固反対ではあるが、当事国の人たちと対等な立場で話し合い、理解し合い、共に歩む中にこそ、解決の道があると思う。(当間弓子)
