2024年版『世界の核弾頭データ』ポスター(核兵器廃絶長崎連絡協議会/長崎大学核兵器廃絶研究センター)

核兵器(原発も含め)は廃絶できるだろうか。ヒロシマ、ナガサキ、ビキニに続く核実験、核が推進され保有されてきた時代。さまざまな反核の声があげられ、運動も続けられた。フクシマ以降、原発廃炉を求める行動も広がった。「なぜ核兵器は続くのか、原発を使うのか」。8月を前に、あらためて考えてみる。

1万3千発のリアル

現在、世界にある核兵器は推定約1万2千発から1万3千発とされている。ロシア5580、アメリカ5040、中国500、フランス290、イギリス220、インド、パキスタン、イスラエル90、北朝鮮50などを保有し、米ロが全体数の約9割を占めている。(ストックホルム国際平和研究所、24年6月)。

進む実戦配備

これらは固定した数ではなく、老朽化分を更新しながら製造され続けている。そのうち約3900発が「実戦配備」の状態にあるようだ。大陸間弾道弾よりも中短距離戦術核ミサイル、潜水艦や爆撃機発射ミサイルなど、より「実戦」を想定した配備が行われている。
ロシア、イスラエルによるウクライナ、パレスチナ・ガザへの侵攻という事態が、核兵器使用の危機を高めている。米ロともに「作戦レベルの核配備」を進める。ロシアは昨年、アメリカとの新START(戦略核兵器削減条約)を一方的に停止した。
ウクライナに侵攻したプーチンは、「NATОがウクライナに部隊を関与させるなら」と、再三「核使用」を示唆してきた。アメリカのイスラエル支持表明も「核」を除外していない。イランとの核不拡散交渉も中断した。さらにアメリカは、5月に「臨界前核実験」(核物質が臨界状態に至らない条件で行う核実験)を実施した。97年以降、34回行っている。核兵器を保有し、使用を担保し続けるためだ。
核兵器の使用は回復不能の大惨事をもたらす。核による応酬が始まれば、「世界の終末」も非現実ではない。

「西側の核は正当」?

昨年のG7広島サミットで採択された「核軍縮広島ビジョン」は、抑止力論に基づく核保有の正当化、中・ロ・北朝鮮への非難に終始する「西側の価値観」そのものだ(以下要旨)。
「ロシアの核兵器使用、威嚇は許されない。我々の … 核兵器は防衛目的 … 侵略を抑止し戦争と威圧を防止する」「中国の核戦力増強は、世界の安定にとって懸念(材料)」「北朝鮮に核実験、弾道ミサイル(発射)等のいかなる行動も自制を求める」「米、仏、英が、自国の核戦力やデータを提供し、責任ある透明性を促進してきた措置を歓迎する」…。政治家たちの言葉とはいえ、あからさまである。

無限のエネルギー幻想

これらを単なる通説と読むか核戦争の現実と見るかは、核をめぐる思想、想像力と現実、核廃絶の声の拡がりともかかわる。例えばアメリカ。途方もない莫大な資金と膨大な人的資源をつぎ込んだマンハッタン計画。最初の核実験の2週間後には広島、長崎へ投下した。実験では得られなかった数十万人の市民、人間の被爆と被曝の影響、その結果の入手のためだった。その後も平然と続けられた自国内のネバダ砂漠での核実験…。
マンハッタン計画によるウラン濃縮やプルトニウム製造、実験などにより、アメリカは世界の「ヒバク大国」である。閃光を避けるサングラスをかけ、ラスベガスからネバダ砂漠の核実験を見る観光客の映像に、愕然とする。「知らなかった」では済まされない。その莫大な威力、一方で「無限のエネルギー」「核は素晴らしい」という、プロパガンダと思想の始まりだ。
二つの条約を見てみる。核不拡散条約(NPT)は、核兵器保有国の拡大(拡散)を防ぐことをかかげ1970年に発効した。参加国は約190カ国(国連加盟国193カ国)。「不拡散」を柱とするが、別言すれば「保有国の優先、独占」である。「原子力の平和利用」推進でもあり、核廃絶ではない。戦後、核とその保有を合理化する思想は根強い。
2017年、国連加盟のうち122カ国により採択された核兵器禁止条約(TPNW Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons)。前文に「ヒバクシャと核実験の被害者の受け入れがたい苦痛と被害」を謳い、第1条に「核兵器 … の開発、実験、製造、保有 … を禁止する」と明記した。条約を真摯に、実際に進めることができるのか。「唯一の戦争被爆国」日本は、署名も批准もしていない。

核と共存できない

『核に縛られる日本』の著者、田井中雅人は「禁止条約の成立が、ただちに核兵器廃絶にはつながらない。新たな規範をつくり核兵器に『悪の烙印』を押し、(毒ガスなどのように)使えなくしていく。その営みの始まり」と言い、サーロー節子は「この日を70年以上待ってきた。核兵器の終わりの始まり」と述べている。国際条約のみに依拠し核兵器の廃絶が達せられるとは思えないが、一つの方位ではある。
「核と人類は共存できない」(故・森瀧市郎)。広島、長崎で起こったこと、99年「東海村臨界事故」の事態、そして、フクシマで、私たちはこの言葉が骨身に沁みたのではないか。「まさか、核兵器が使われることはない」「原発は危険か、安全か」という議論であってはならない。(竹田雅博)*文中、敬称略。