のと鉄道・輪島駅(現在は廃駅)の駅名標=石川県輪島市河井町

能登半島で地震が発生したとき、「年寄りばかりのところに、将来性もないし、金をかける必要性があるのか」と自民党の政治家が発言した。政府の本音だろう。避難施設に雑魚寝する被災者をみて外国人の記者がその処遇の劣悪さに驚愕した。「ソマリアの難民収容所と同じだ」と。最近、ある避難所では簡易トイレにあふれた汚物を食器ですくい出していたという話を聞いた。被災地では発災から半年経っても、道路がボコボコで、海岸線は隆起したまま。上下水道の復旧も遅れ、倒壊した家屋がそのまま放置されているところがある。これはまさに能登半島丸ごとの「棄民」ではないのか。
奥能登四市町(珠洲市、輪島市、能登町、穴水町)の商工会議所や商工会によると、5月末段階で109の事業所が廃業を決めた。石川県議会で仮店舗や施設修繕の支援が提案されているが、その後の進展について明るいニュースは聞かない。そもそも馳浩・石川県知事の姿を見たことがない。いったい彼は何をしているのだ。
公立の小中学生は、震災前に比べて珠洲市は3割減、輪島市は小学生が4割減で中学生が3割減。震源地に近い飯田高校の生徒数は昨年度は100人だったが、今年度は52人に半減。奥能登の将来が心配である。

「のと鉄道」と奥能登

地震で大きな被害を受け全線運行停止となっていた「のと鉄道」が4月からようやく再開した。4月6日には始発電車が警笛を鳴らしながら穴水駅を出発し、多くの住民が歓喜の声をあげた。穴水駅は奥能登への玄関口である。「のと鉄道」は七尾線に連絡して金沢駅につながる。この再開はまさに地域復興の弾みとなる。ひとまず通勤通学の足が戻ったことは、住民にとっても一安心であった。
1987年の国鉄分割民営化に伴って設立された「のと鉄道」は(翌88年に第三セクター化)、穴水駅から二手に分かれ、北上すれば朝市や輪島塗で有名な輪島駅へ、北東へ向かえば、今回の震源地に近い蛸島駅(珠洲市)まで延びる。
私はずいぶん前に、この鉄道を使って奥能登を一人旅したことがある。輪島駅のホームの駅名標には、次の駅が「シベリア」とあった。もちろんいたずら書きだが、駅員もそのままにしていたようだ。それを見ながら苦笑しつつ、「遠くまできたなあ」と旅愁にひたっていた。一方、輪島の町は活気と情緒にあふれ、夜は歴史を感じさせる御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)に多くの観光客が集まっていた。そこには寂れた様子はまったくなく、住民たちが自分たちの町に誇りを持っていることがひしひしと伝わってきた。
もう一方の珠洲方面行の鉄道にも乗った。金沢の街まで行商に行くのか、海産物と思われる重い荷物を背にした女性たちが大声で談笑しながら乗車してきた。この町で泊ったのは、隣室とフスマだけで仕切られた粗末な商人宿だった。ここの料理は質素だったが、これほど美味しいものを未だに食べたことはない。かまどで炊いた米がうまい。商人宿のオカミサンの心意気を感じさせた。最近は「商人宿」というものをとんと見かけない。もはやつげ義春の漫画の中で偲ぶしかないのだろうか。
かつては地方には地方の、田舎には田舎のささやかであっても確かな営みがみなぎっていた。日本全体を人体に例えれば、毛細血管が全身に張り巡らされ、隅々にまで血液が行き渡り循環することによってはじめて生命たりえるのだ。

全国の廃線化

ところが国鉄分割民営化から14年後の01年に「のと鉄道」の輪島線が赤字を理由に廃線に。05年には同じく珠洲に通ずる能登線が廃線となった。このようにして地方を切り捨てる民営化の論理は能登半島のみならず、全国を席巻していった。
この数年をみるだけでも北海道では16年に根室線、21年に日高線が一部廃線、今年3月には北海道の富良野~新得間が廃線になった。22年の豪雨の影響で運休していた東北の津軽線や北陸の米坂線の一部の復旧の目途が立っていない。また昨年の大雨で全線不通となった山口県の美祢(みね)線も同様である。東日本大震災で被害を受けた大船渡線や気仙沼線も全線がつながらず一部がバス運転(高速輸送システム)となったままだ。
まだまだあるが、これらはすべて台風や豪雨、地震による被災を理由にJR各社が復旧せず切り捨てている例である。災害に乗じて「これ幸い」とばかりに廃線化を進めている。これが国鉄分割民営化によって行き着いた日本の鉄道事業の実態である。
「鉄道がなくても自動車があるではないか」という向きもあるが、道路は鉄路に取って代わることはできないと思う。駅前の商店街や広場やベンチが住民どうしをつなぎ、心の拠り所になってきた。それらが失われることによって、地方がますます寂れていく。
鉄道の復旧工事は道路整備のわずか5%の費用で可能であるという。言い換えれば、道路を作るためには鉄道工事の20倍もの財源を必要とする。災害は、鉄道会社にとっては撤退や合理化の格好の理由となり、ゼネコンにとっては道路整備によるボロ儲けのチャンスになっている。ここに政治家と鉄道会社とゼネコンの三者の癒着がないと言い切れるだろうか。

国鉄闘争と関生弾圧

国鉄分割民営化から37年が経った。国鉄労働者40万人を20万人に削減する大合理化を許すまじと、その闘いは労働運動を中心としたものとなったが、当時の私は、地方を切り捨て日本全土の荒廃に導くことになるという視点を持ってなかった。
民営化後、清算事業団に送られ、解雇されてもなお原職復帰を求めてたたかった闘争団、とりわけ攻撃が集中した国労の組合員たちは今どうしているのだろうか。全身を怒りの炎と化した闘う闘争団の家族のアジテーションは生涯忘れることができない。国鉄闘争の終結過程のことを思うと、怒りで胸が締めつけられて言葉にならない。国家による首切りと組合つぶしは、産業別労働組合の壊滅をねらった現在の関西生コン弾圧につながるものだ。

赤木さんの無念

最後に森友学園をめぐる公文書改ざん事件の犠牲者、赤木俊夫さんについてふれたい。赤木さんは元国鉄職員だった。民営化攻撃が吹き荒れる中、彼は近畿財務局に転職することができた。働きながら夜間大学で法律を学び、懸命に仕事に打ち込んでいた。それが2017年、佐川宣寿(のぶひさ)元理財局長の命令で公文書を改ざん。当時の上司たちはすべて異動になったが、赤木さんだけが残留となり、すべての責任を彼一人に負わせた。当時の上司たちは「どうせ赤木は国鉄から拾ってやったノンキャリア。あいつに全部かぶせて、俺たちは逃げよう」と考えたとしか思えない。
その後赤木さんは、大阪地検の取り調べを受ける中で発病し、自死にいたる。利用するだけ利用されたのだ。赤木さんも国鉄分割民営化の犠牲者ではないだろうか。彼の無念を断じて忘れてはならない。(想田ひろこ)