
8月4日9時、長崎平和運動センター、長崎地区労の反核平和行進に参加しました。簡単に出発式を行い炎天下へ。約50人。「反核」「フクシマ」「辺野古」などの旗を掲げ、爆心地点までおよそ80分歩き、塔の前で黙祷、最後に団結ガンバローで締めました。
この日の行動は8月7日から9日の平和行動の先駆け。平和公園での毎月9日の反核座り込み行動や毎年県内で行われる反核平和リレー、沖縄平和行進に繋がっています。小さな集まりながら、意義は大きいのです。
関西から長崎に帰郷し強く感じたのは、長崎という地が反核という意識と活動でとても際立っていることでした。それまでの私の原爆への意識が、いかに薄かったのかを思い知りました。NHK番組で、被爆者が描いた体験画と被爆証言に触れ、原爆の悲惨と反人間性を痛感しました。超高熱で真っ黒焦げに炭化した死体、即死しなくて裸で髪の毛を逆立て、ものすごい形相で走ってくる女性、防火水槽に頭を突っ込み死んでいる人。
生き残っても寝たきりの夫。夜中も頻繁に起き看護する妻は、昼間は生活のために土木作業に出かける…この頃、被爆者への援護事業はなかった。これらは、ほんの、ほんの極一部の事例です。
8月9日に長崎市長が読み上げる平和宣言には、被爆詩人の福田須磨子さん(故人)の詩が引用された。8月7日の毎日新聞は、「詩は『原爆を作る人々よ! しばし手を休め、眼をとじたまえ』と始まり、原爆が多くの命と平和な家庭を破壊し、残された人々は『原子病』への不安、肉親を失った悲しみに苦しめられ続けている。原爆の惨禍を想像し、核兵器の一切を放棄するよう呼びかける」と伝えていました。私は、詩そのものを紹介したかったのですが…。
長崎では、高齢になった被爆者、高校生平和大使たちをはじめ、連綿と取り組みが続いています。「8月6日と9日」は、決して終わった過去ではありません。向き合い続けましょう。
