宮内陽子さん=8月4日、神戸市内

日本軍「慰安婦」被害者たちの勇気とたたかいを讃え記憶する取り組みが、8月14日のメモリアルデーを中心に世界各地で行われました。「ここに生き証人がいる」と金学順(キムハクスン)さんが名乗り出たのが、33年前の1991年8月14日でした。
神戸では8月4日、映画『大娘たちの戦争は終わらない』を観て、生前のダーニャンたちの姿と訴えを心に刻み、中国各地に残る日本軍の加害現場を幾度となく訪ねている宮内陽子さん(神戸・南京をつなぐ会)の話を聞き、戦争加害の負を今の社会にも色濃く残している中、私たちはどう生きるか考えました。

恒常的な性暴力

『大娘たちの戦争は終わらない』は、2004年に制作されました。中国山西省で日本軍による性暴力被害(注)を受けた女性たちを、私たちは尊敬をこめてダーニャン(大娘:おばあさん)と呼びます。
山西省は黄色い大地と青い空が広がる、日本から遠い所にあります。日中戦争が始まり、日本軍は中国山西省を支配します。そこで日本軍は、女性たちに日常的な性暴力を行いました。若い女性を拉致監禁したり、村長に命じて女性を拠出させたり。万愛花(ワンアイファ)さんのように拷問として恒常的な性暴力を加えられた人もいます。
1991年に金学順さんが名乗り出た後、世界中から被害女性たちが名乗り出て、日本政府を告発しました。万愛花さんら中国山西省の女性たちも、日本政府に謝罪と賠償を求めて裁判を起こしました。時効のために訴えは認められませんでしたが、被害事実は裁判所によって「日中戦争という戦時下において行われたものであったとしても、著しく常軌を逸した蛮行」と認められました。

日本軍による蛮行

映画は、裁判を支援していた「中国における日本軍の性暴力の実態を明らかにし、賠償請求裁判を支援する会」が、裁判の原告を訪れた時に撮りためた映像を編集したものです。映画の中で、高齢となった被害者たちが手を取り合い、励ましあいながら生き抜き、たたかっている姿が印象的でした。
特にリーダー的存在だった万愛花さんが、他のダーニャンにかける言葉がとても優しく、けれど力強く、忘れることができません。「死ぬことなんて考えなくていいよ。まだ大事なことがあるからね。この古い体でたたかおうよ」。

解放後もつらい日々

スクリーンの中にいるダーニャンで、存命の方はもういません。また、南二撲(ナンアルプー)さんの娘の楊秀蓮(ヤンシウリェン)さんの姿もとても心に残りました。南二撲さんは、楊秀蓮さんが幼いころに自死しました。戦争中は日本軍の性奴隷にさせられ、解放後は「対日協力者」としてつらい日々を送った末の出来事でした。楊秀蓮さんも苦しい日々の中で成長しました。養父から教えてもらった母の苦難を胸に刻み、遺族として裁判原告に参加しました。
今年4月、中国の性暴力被害者遺族18人が日本に謝罪と賠償を求め、中国の裁判所へ提訴したというニュースが舞い込んできました。楊秀蓮さんも原告の一人でした。
     (岡田 大)
(注)万愛花さんたちは慰安婦ではなく、性暴力という言葉を使う。彼女たちは慰安する女性ではなく、日本軍による性暴力被害者である。会が用いている日本軍「慰安婦」という言葉は、第2回アジア連帯会議(1993年・東京)で決定した用語。①被害女性たちは慰安する女性ではない。必ず「」をつける、②従軍という言葉からは、自発的に軍に付き従ったようなイメージがあり使わない。犯罪の主体である「日本軍」を前につける。日本軍性奴隷という言葉も用いる。国連クマラスワミ報告やマクドゥーガル報告でも用いられ、実態を最も的確に表現した用語。2021年、菅政権は閣議決定で「従軍慰安婦は不適切、慰安婦と表記する」と定め、現在の教科書では日本軍「慰安婦」はおろか従軍慰安婦と表記することも許されていない。「従軍慰安婦は、軍により強制連行されたイメージがある」というのがその理由とされた。