イスラエル建国を宣言するベン=グリオン 1948年5月14日

パレスチナ連帯のために講演や支援活動を続けている村山盛忠牧師(日本キリスト教団)が8月10日、滋賀県大津市で開かれた「敗戦記念日を覚え、平和を求める集会」で講演した。
村山牧師はパレスチナで行われていることを「イスラエルによるユダヤ化、すなわち民族浄化である。それは、イスラエルの建国前から計画され準備されていた」というイラン・パぺ(イスラエルの歴史家)の言葉を引用して説明した。
一般に1948年5月15日、イスラエル建国を受けて第一次中東戦争が始まり、それがパレスチナ難民を生み出した原因とされている。しかし、イラン・パぺによれば、48年3月のある寒い午後、シオニズム運動の11人の指導者と軍司令官らが、パレスチナの民族浄化、すなわち100万人のパレスチナ人の家屋・農地・職場・故郷もろとも追放することを決定していた。
11人のうちの一人が初代首相のベン・グリオン。この会合の翌日、シオニズム運動の指導部は、このパレスチナ人の民族浄化という決定を、軍事旅団にたいする指令として発した。そして48年3月の終わりから軍事旅団はパレスチナ人の計画的追放を実行し始めた。
彼らは、4月21日の1日で、ハイファの町から7万5000人を追放した。その数日後にはほぼ同数のパレスチナ人をヤーファの町から追放した。イスラエル国家の建国前に35万人のパレスチナ人が自らの土地・家屋を奪われ、追放された。
この歴史的事実が重要なのは、「アラブ世界がイスラエルにたいして戦争を仕掛け、パレスチナ人に退去するように呼び掛けたために難民問題が発生した」というイスラエルの公式見解が一般に流布しているからだ。
イスラエル建国以前にパレスチナ人の半数が難民になっていた。さらに、残りの半分を追放するために、イスラエルは戦争を利用した。戦争によってパレスチナ人が難民になったのではない。イスラエルがパレスチナ人にたいする民族浄化を企図したことによって難民が生まれたのだ。戦争はパレスチナ人が難民となった原因ではなく、難民を生み出すための手段だったのだ。
建国の前後を通じて、イスラエルは合計約500の村、11の町を破壊し、約100万人のパレスチナ人を難民にした。イスラエルは一方で、侵攻してきたアラブ軍と戦い、もう一方で民族浄化作戦を遂行するのに十分な軍事力を保持していた。

村山盛忠牧師

シオニズム批判

正統なユダヤ教がシオニズムを批判していることについて村山牧師は、ユダヤ教の聖典『タルムード』や、ヤコブ・ラブキン著『トーラーの名において―シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』を引用しながら次のように説明した。
聖書のイスラエルと現在のイスラエルは全く違う。また、タルムードに出てくるイスラエルの民の3つの誓いは、「民としての自律を獲得しないこと、イスラエルの地に大挙して組織的な帰還を行わないこと、諸々の民に盾をつかないこと」である。レコンキスタ(ムスリムの支配するイベリア半島を、再征服しようとするキリスト教徒の運動)によってユダヤ人がイベリア半島から迫害・追放された時、集団的にオスマントルコに受け入れられたことはあっても、イスラエルの地に移ったのはごく少数だった。1948年、イスラエル建国の直後に復活したラビの叙任制度は、世界中のラビから拒絶された。
最後に村山牧師は、19世紀に出現した国民国家と民族主義の運動に、ユダヤ教徒=ユダヤ人が位置付かなかったことが問題の根源であり、そこを欧米の植民地主義が利用したことこそが問題ではないかと話した。(塚本)