旧広島赤十病院の歪んだ窓枠、爆心から1・6キロだったため倒壊は免れた。病院のX線フイルムはすべて感光していた。その後は、被爆治療の拠点になり「原爆病院」と呼ばれた。ラジオが毎日、「きょうは〇人が亡くなった」と放送していた。病院の看板は、いまも「赤十字原爆病院」、交差点の表示も「原爆病院前」である。(文:mark、撮影:aya 8月7日・広島市千田町)