
今年7月7日に投開票された東京都知事選の結果に驚きや落胆の声が聞かれる。〝東京の話〟とか〝よその政党の問題〟では片づけられない、日本全体に関わる大問題だと筆者も受け止めている。共に考えたい。(文中敬称略)
【Ⅰ】都民の選択
主要候補の得票状況を表にした。
小池+石丸で7割近くを占める一方、蓮舫は2割に届かない〔表1〕。10~20代の4割強が石丸。他方、蓮舫は、10~50代でほとんど選択肢に入れず、ようやく60代・70代~で2~3割。しかしこの層でも半数近くが小池〔表2〕。女性でも蓮舫は2割余り、半分近くが小池〔表3〕。さらに、岸田内閣不支持層の中でも、蓮舫は小池、石丸の後塵を拝している〔表4〕。
小池+石丸への7割近い票をどう見るか?「安定を望む富裕層だ」「いや、何も考えてない連中だ」と切り捨てるか? では、10~50代の若者から働き盛り・子育て世代にわたって、蓮舫が選択肢にも入れなかった現実はどうか? やはり、民衆の冷厳な選択と受け止めるべきではないか。左派・リベラル(という括りで議論を進める)が、「通用しない」(辻元・立憲)ということではないだろうか。
【Ⅱ】争点は何か
後ほど、各候補の主張や政策を検討するが、その前に、そもそも争点は何だったのか? メディアが挙げていたアレコレの争点ではない。「選挙以前的な・日本全体をめぐる争点」である。そういう大局的な争点に都知事選も規定されていた。そういう順番で考えていった方がいいと思う。
日本社会が抱える問題である。30年来、経済が停滞と閉塞の中にあり、世界の趨勢からも大きく脱落し、かつての主力産業も軒並み凋落し、国際比較でも著しい低賃金が続き、負担だけが増加している。グローバル化が迫られ、「改革」が叫ばれ、新自由主義政策が推進されてきたにもかかわらずだ。しかも他方で、政治・経済・社会の「古い枠組み」(次号で言及)は牢固としてあり、そこからまた様々な問題が噴出している。
3つの選択肢
さて、このような日本社会の問題にどう対処するか? それをめぐって様々な議論があるが、それを、以下の3つの選択肢という形に整理すると議論が分かりやすくなるのではないか。①「古い枠組み」をあくまでも守るのか、②「古い枠組み」を打破する新自由主義なのか、③「古い枠組み」と新自由主義の両方をくし刺しにするオルタナティブなのか。
混然とした議論をこうして3つの選択肢として可視化・争点化しつつ、大きな論戦の構図に引き込んでいく。そういう中で一個の選択肢として登場していく。それが運動の大きな戦略ではないか。もちろん一回の選挙で決着する話ではない。選挙を超えた運動の長期戦略の問題だ。
以上に踏まえつつ、各候補の主張・政策を検討してみよう。
【Ⅲ】新自由主義+古い枠組み
まず、小池の政策は?と考えたとき、小池は政策に関心がないし、信条もないと言うしかない。あるのは、自身の政治的地位の上昇だけだ。そして、入念な有権者マーケティングで、それに応じたパフォーマンスを繰り出しているだけだ。
では、小池都政の政策を主導しているのは誰?となるが、都庁官僚だ。その都庁官僚と小池とは、ウィン・ウィンの関係にある。官僚は、政策や人事に手を突っ込まれたくない。その点、小池は丸投げだ。他方、小池としては、「やってる感」「映える成果」がほしい。それは官僚が用意している。
都庁官僚の主導
だから問題は都庁官僚の政策だ。それは、例えば「『未来の東京』戦略」(都政策企画局)という政策文書で打ち出されている。端的に言えば、「新しい公共経営NPM」=自治体版・新自由主義政策の推進だ。東京を、グローバル資本を引き付けるグローバルシティとして改造・整備し、地方の資源も東京に吸い寄せ、豊富な公共財をグローバル資本のために投入し、グローバルな都市間競争に勝ち抜いて経済成長を追求する。もって成長の果実のトリクルダウンがあれば、社会的な事業にも配分する。
このような都庁官僚主導の都政に小池らしさがあるとすれば、それは、粛々と新自由主義政策を推進しつつ、「古い枠組み」にも一定配慮するという点ぐらいだろう。
しかし、なんでこんな政策が支持されるのか?そう思うかも知れないが、では、都民の前で、「『未来の東京』戦略」の問題性が広く暴露・批判されてきただろうか?そもそも都庁官僚こそが政策の主導者で元凶だと知れわたっているだろうか? そこが隠され、選択肢が見えない状態にされているのだ。(つづく)
