
作者の林京子は、長崎の被爆者。本の表題のほかに「トリニティからトリニティへ」というノンフィクションも収録されている。
林京子は1945年8月9日、爆心地から1・4キロ離れた三菱兵器製作所に学徒動員の一人として働いていた。場所は違ったが、同級生のカナさんも働いており、もちろん二人とも被爆した。二人は戦後、被爆後を生きたが、カナさんは先に亡くなった。
林は古希を目前に、お遍路の旅に出る。同行二人ということか。カナさんのために、御朱印を貰う手拭いを用意してお寺を巡る。
読んでみて強烈に思った。被爆者は生き残っても、死と向き合わなければならなかった。放射能の人体への影響が、どういう形で現れるか分からない怖さ。それが常に付きまとうのだろう。
トリニティへ
原爆実験場のトリニティへの旅。林京子はアメリカ在住の友人、月子さんと訪れたときのことを綴る。トリニティというのは、ロバート・オッペンハイマーが自ら命名した、核実験所の名称であり「三位一体」という意味だ。
林がトリニティへ行ったのは、1999年の秋。いまも放射能が残るトリニティが公開されるのは、年に2回のみ(4月と10月の最初の土曜日)。軍の完全な管轄下にある。公開されていても「国家秘密の場所」なのだ。そして今なお、高い放射線が観測される。
3発の原爆が
人類史上初の原爆実験は1945年7月16日だった。実験に使われたのはプルトニウム爆弾である。この時点でアメリカが製造した原爆は残り二つ。ウラン原爆が広島に投下され、プルトニウム原爆が長崎に投下された。
知人の、被爆したお兄さんが残した短い手記を読む機会があった。「原爆で死ぬのと刀で一寸刻みにされるのとどちらが残酷なのか。本人や見る人の主観と言えないか。どっちにしても当人にとって死ということに変わりはない」と書かれていた。しかし彼は被爆体験を口に出して語ることはなかったそうだ。語ることができないほど重く、苦しいものだったと想像する。
原爆が開発・製造された以降の世界と、それまでの世界は違うと思う。間違えば、「世界が破滅してしまう」かも知れない。プーチンはウクライナ戦争で核兵器の使用をほのめかせ、故・安倍晋三は「核の共有化」を唱えた。戦争被爆国の政治家として、プーチンに「それだけはやめろ」と、言わなければならなかったのに…。(こじま・みちお)
