長崎人権平和資料館

1年ぶりの長崎。大村市にある長崎空港の対岸には陸海の自衛隊基地と大村入管収容所がある。戦争を想定して設計されたのではと思われる。
知人と2人で長崎人権平和資料館へ。在日朝鮮人・中国人被爆者に焦点を当て、「被害の歴史」よりも「加害の歴史」の平和資料館となっている。
明治日本の産業革命の地として世界遺産に登録されている「軍艦島」。そこへ強制連行され、三菱造船所で被爆した故・徐正雨(ソジョンウ)さんは、「絶対に逃げられない監獄島であった」と、日本政府と三菱の戦争責任を生涯かけて追及し続けた。
3階建ての小さな記念館だが、受付の女性(元高校の歴史教師)は知人の知り合い。一時は右翼の街宣カーが押しかけたこと、訪れた櫻井よしこが「ここは反日基地」と暴言を吐いていったことや、平和運動の仲間がボランティアで運営してきたことを聞く。ソウルでは伊藤博文を「暗殺」した烈士・安重根(アンジュングン)の記念館が官民で運営されている。それに引き換え、日本の「平和記念館」は厳しい状況に置かれている。
以前に、吉村昭の『長英逃亡』で、江戸幕府の鎖国政策を批判し投獄された蘭(らん)学者・高野長英が、脱獄後に顔を焼いて逃亡を続けたことに感動した。長英がオランダ語に絵を添えたシーボルト宛てのレポート「日本に於(お)ける茶樹の栽培と茶の製法」をもう一度見たくてシーボルト館に行ったが展示されていなかった。
平和公園で「反核平和の火のリレー」の出発式に出会う。鐘楼から「原爆許すまじ」の鐘が鳴った。あの日11時02分、原爆が投下され、上空500メートルで炸裂(さくれつ)した。8月6日、広島の式典をテレビが放映した。日本は核兵器禁止条約に署名も批准もせず、「核の傘」の下に居座りつづける。首相のメッセージは、「小学生による平和宣言」の足元にも及ばぬ平板な作文だった。(啓)