
中国山西省で日本軍による性暴力被害を受けた女性たちの闘いを記録した映画『大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない』(2004年)が8月4日、神戸市内で上映されました。
上映後のトークは、神戸・南京をむすぶ会の宮内陽子さんです。神戸・南京をむすぶ会は97年以降、毎年8月に南京市内外の南京事件現場と中国各地に残る日本軍の加害の現場、幸存者、関係者を訪ねるフィールドワークを23回続けています。
宮内さんのお話は、万愛花(ワンアイファ)さんとの思い出から始まりました。「心に刻む会」の招へいで証言されたときに、「私は慰安婦ではない」と叫んで倒れられたこと。その後、山西省を訪ねた時、万愛花さんはわざわざ太原(タイユアン)からやってきて歓待してくれたこと。そしてダーニャンたちが閉じ込められたヤオトン(中国の横穴式住居)で、被害体験を話していただいたこと。2000年、女性国際戦犯法廷でのこと…。
宮内さんたちは万愛花さんに会いたい一心で山西省を訪ねましたが、山西省を訪ねた理由は、実はもう一つありました。それは林柏耀(リンボウヤオ)さんに言われた、この一言だったといいます。
「山西省の進圭社へは、雨が降ると濁流に変わるような山道を何時間もかけて行くのです。そんなところにどうして日本軍が行ったのか、行って考えてみてください」。
加害者の心情にも迫りたい…なぜ万愛花さんや李秀梅(リンウメイ)さん、劉面換(リュウミアンファン)さんらを性奴隷にしたのか。その思いが、宮内さんのもう一つの原動力となっています。多くの人と同じように、宮内さんも最初は日本兵のことを「なんて酷いことをした人なのだろう」としか思っていませんでした。中国の人たちが言うようにリーベンクイズ(日本鬼子)であり、理解の及ばない存在でもありました。
けれども、山西省訪問以降、中国を何回も訊(たず)ねるうちに加害者側の意識について考えるようになっていました。
日本軍の「戦争」
桂林に行った時のことも詳しく話していただきました。この旅の目的は、桂林で日本軍「慰安婦」にさせられた韋紹蘭(ウェイシャオラン)さんにお会いすることでしたが、旅の企画段階での2019年5月5日に、惜しくも亡くなりました。それでも韋紹蘭さんが産んだ日本兵との子である羅善学(ルオシャンシュエ)さんとお会いすることができました。 日本軍から逃れるために村人の多くが隠れ、日本軍によって入り口を塞(ふさ)がれ蒸し焼きにされたという洞窟も訪ねたそうです。桂林は日本軍による大陸打通作戦の結果、戦場となり被害に遭いました。1944年のことです。その作戦に動員された日本兵は、体力も弱く訓練もされていない兵士が満足な装備も支給されず、自分の体重ほどの荷物を背負って米軍の制空権下1500キロもの行軍を強いられるという過酷なものでした。
兵士たちにとっての最大の敵は、飢えと感染症でした。そのような兵士たちが、洞窟に隠れた住民を皆殺しにし、韋紹蘭さんらを拉致監禁し「慰安婦」としたのです。
平頂山事件の虐殺現場では、犠牲者の白骨が展示されています。日本兵は1時間にもわたり、機関銃掃射によって村人を殺し続けました。機関銃を放った日本兵は、どのような気持ちだっただろう。人の心を捨てなければ、人間であることを否定しなければ、それはできなかっただろう。そう思い始めたのです。
山西省では十数人の部隊で村を占領していました。日本兵からみれば、周囲の中国人の誰が八路軍なのかわからない。いつ殺されるかもわからない。そんな状況です。人間としての意識を失わない限り、生き延びられないのではないか。だから、そういうことをしたのではないか。(岡田 大)
