
自由ジャーナリストクラブが主催する講演会で、元韓国政治犯の李哲(イチョル)さんの話を聞いた。「長東」とは東にある長い島、日本のことだ。子どもたちに自分がどういう生き方をしてきたか伝えるために獄中で書き綴った。
1948年、熊本の芦北に生まれた李哲さんは72年、中央大学に入学。75年12月、韓国の高麗大在学中に「在日留学生捏造スパイ事件」で中央情報部に連行された。1審から3審まですべて有罪の死刑判決、79年8月15日に無期に減刑された。13年に及ぶ獄中生活の後、88年10月3日に出所した。刑が確定するまではソウルの西大門(ソデムン)拘置所に、確定後は各地の教導所を転々とした。中央情報部の拷問や、各教導所での処遇の違いが語られる。一番驚いたのが、韓国の死刑囚は牢屋(ろうや)の中でも手錠をはめられたままで、自殺と逃亡を防止するため雑居房だということだった。食事、トイレ、寝る時も手錠をかけられている。辛(つら)かったと思う。
13年間の獄中生活で、一般刑事犯や政治犯との出会いが述べられているが、二人紹介する。一人は、大田(テジョン)教導所で出会った申栄福(シンヨンボク)というインテリ政治犯。68年の「統一革命党事件」で無期懲役を受けた。この人は、何かを獲得するのではなくて自分の中にあるものを捨てることを獄中生活の目標にしようと思い立った。インテリとしての作風をすべて捨て、基層階級に自分を戻さなければならないと…。
もう一人は、ホジュキ老人。本名はわからない。ホジュキは漢字で豪州機と書く。オーストラリアの飛行機という意味。朝鮮戦争時に豪州機が韓国で有名になった。ホジュキ老人はかっぱらいの常習者。「ホジュキ!」と叫んでかばんなどを盗んでいた。このホジュキ老人、入浴時に熱湯の浴槽に転落して即死。誰かに押されたらしい。一人の民衆の悲しい死と述べている。
李さんは88年10月3日に出所。同月28日に婚約者の閔香淑(ミンヒャンスク)さんとソウルの明洞(ミョンドン)大聖堂で結婚式を挙げ、支援者と「結婚祝いデモ」をしたという。李さんは2011年10月31日に再審を請求。15年7月23日、ソウル高裁で無罪の判決を勝ちとった。19年6月27日、大阪G20に参加していた文在寅(ムンジェイン)大統領から「在日同胞スパイ事件」被害者に謝罪があった。李さんも直接謝罪を受けた。
1986年5月、ぼくは友人たちとソウルに行った。李さんは大田教導所に収監中だった。ソウルの街には、いたるところに機動隊がいた。梨花女子大に行くと催涙ガスの臭いが立ち込め、映画『1987』に出てくる延世大学も、大学から続々と機動隊員が出てきたのを思い出す。(こじま・みちお)
『長東日誌~在日韓国人政治犯・李哲の獄中記』
李哲・著 東方出版 3500円+税
