中国・山西省孟県の村、進圭社

国も私たちも蓋をした

宮内さんが子どものころ、そんなことをする大人を「悪い奴らだ」と思っていました。それは宮内さんにとっては親の世代のこと。しかし侵略していった兵士たちは、人間でなくなっていくことを強いられていった…中国への訪問を重ねていくうちに、そう思うようになってきたのです。それはそれで、非常につらいことであっただろうと…。
そういう日本兵の多くは、戦後日本に帰ってきて家庭を築き、いまの日本社会を作っていきました。問題を置き去りにし、復興第一。子どもである宮内さんたちの世代は、全く聞こうとしない、わかろうとしない。むしろ冷たい憎しみの目で大人たちを見ていた。
そういうことが、結局日本の戦争犯罪というものに国が蓋をしたのと同時に、私たちも蓋をさせてしまったのではないでしょうか。宮内さんはそう問いかけました。
近藤一さん(不戦兵士・市民の会の語り部/故人)は沖縄戦を語り続けていくうちに、山西省で酷いことをしてきたのだと気づきました。近藤さんの苦しみは一生なくならなかったかもしれませんが、近藤さんは自分の被害を吐き出す中で自分の加害に気づき、少しずつ人間性を取り戻していかれた。そうでなければ進圭社を訪ねていくことはできなかったでしょう。しかし近藤さんのような人は、稀有です。多くの人は、自分の犯した戦争に向き合う機会を与えられなかったし、私たちが与えてこなかったのです。

人間性を捨てて生きた

戦後世代は、戦争犯罪に蓋をした世代に育てられました。ある本に、戦争に行った人の特徴として、こう書かれていたそうです。
利に敏(さと)いこと、人に冷たいこと、非を認めないこと。そうでなければ戦争を生き延びることはできなかった兵士たち。たくさんの加害を繰り返し、人間性を喪失し、そんな人たちが戦後社会を築いていきました。DVで育てられた子が親となった時に、またDVを働くように、人間性を喪失した親世代が次世代にもそれを引き継ぎ、そしていまの日本は人間性を喪失したままです。

人権と戦争を問う

人間性を喪った人が凶悪犯罪件を起こしたりします。「それは本当に戦争と無関係なのだろうか」。どうしてもそのようなことを考えてしまうと、宮内さんは言います。
私たちが立ち向かわなければならないものは、自分の内面にあり、社会にある。一人一人を大切にし、人間的なものを取り戻す営みを通じることでしか、私たちは日本社会を変えていくことはできないし、それもまた戦争責任を問う作業なのです。

宮内陽子さんのお話は、私たちの戦争責任のあり方に、新しい視点を与えてくれました。「戦争責任を問う」ということは被害者のためだけにあるのではなく、私たちの人権と民主主義を問い続けるということでもあると。
私たちは、日本社会をよりよいものにしていくために、これからも日本の戦争責任を問い続けます。(岡田 大)