
2014年11月16日、知事選開票日の午後8時前、名護市内で知事選挙の応援とカヌーでの阻止行動を終え、私は那覇市国際通りのスターバックスにいた。選挙開票とほぼ同時に、翁長雄志知事が当選の報道。最終確定票では10万の大差をつけての勝利だった。
当確の報道を、名護では仲間たちが大喜びしていたに違いない。選挙運動の苦手な私も翁長支持を訴え、連日選挙公報ビラを全戸配布していたから、喜びもひとしおだった。相手候補の仲井眞事務所は、スタバから数分のところにあった。その事務所に向かってみると、開票からわずか10分も経っていないのに、室内の電気は消され、人っ子一人いなかった。
ボーリング調査
しかし、すでに沖縄防衛局は仲井眞知事による「大浦湾埋立て承認(13年12月27日)」に沿って、建設予定海域でのボーリング調査を14年8月18日に開始していた。翁長知事の就任によって、辺野古新基地建設を国や沖縄防衛局がゴリ押しに工事を進めるのも難しくなるだろうと期待した。
「辺野古が唯一」との規定路線に固執する沖縄防衛局との間で合意を取り付けることは、容易ではない。翁長知事は熟慮の末、2015年10月13日、「前知事による埋立て承認を取り消す」と沖縄防衛局に通知した。国・沖縄防衛局は、それを不服として11月17日、福岡高裁那覇支部に「埋立て承認取消しを撤回する」代執行訴訟を提起。16年3月4日、裁判所の仲介により国と県は辺野古新基地建設を巡る3つの訴訟について和解。移設関連工事が中止に。
カヌー防止線を設置
沖縄防衛局は、ボーリング調査の準備として海域でのカヌーによる抗議活動を阻止するために、辺野古崎周辺に防止線(小玉のフロート)を設置した。14年7月から「和解」が成立した16年3月までが、抗議船とカヌーによる第一期の海上阻止行動だった。
この時期のはじめは、防衛局によるカヌー阻止のための警戒線(小玉のフロート)も設置されておらず、海保による規制もなく、カヌーで松田ヌ浜から辺野古崎を経由し大浦湾を横断し瀬嵩の浜まで7キロを漕(こ)ぐこともできた。15年ころから沖縄防衛局は、ボーリング調査をカヌーチームから防衛するために警戒線(小玉のフロート)を二重三重に強化し始めた。カヌーによる行動は、この設置作業を行う作業船を阻止することだった。
カヌーは2人組
カヌーチームは5名ごとに班分けされ、さらに安全のため2人でバディー(仲間、2人組)を組んでいた。バディーの1人がカヌーから飛び込んで阻止行動に移ると、もう一人が飛び込んだカヌーを確保する役目を果たす。73歳のカヌーのメンバーが果敢に飛び込む。続いて若い女性メンバーも作業ロープに取りつく。たまりかねた作業船がいったん退くと、カヌーチームは近くの長島か平島で昼食を取り、休憩し監視を続ける。
再度作業船が警戒線の設置を始める。カヌーで阻止行動に向かう。阻止行動は、何度も繰り返される。朝、松田ヌ浜を出て夕方5時過ぎまでの長丁場、カヌーでの阻止・監視行動が続く。肉体的にも厳しい。
防止線を越える
この時期、私の最大の難関はボーリング調査のための「小玉の防止線」をカヌーで突破することだった。メンバーの多くは、カヌーに乗る位置を変えることなく難なく突破できるのに、私にはどうしても突破することができない。「勢いをつけ、足でカヌーを蹴るんだ」とアドバイスされても、「足でカヌーをどうやって蹴るのだろう」と思案するばかりだった。
最後に、カヌーの最も後ろに乗り、勢いをつけ小玉のあいだにカヌーの先端がかかると急いで身体を先端に体重移動する。やっとのことで通過することができた。
ゲート前の仲間たちの姿と翁長知事の10万票もの大差が、私の背中を押してくれたのだろう。
(すみだ・いちろう)
