ヘリパッド建設のため伐採された樹木

2016年8月26日、7時30分。県庁前から島ぐるみ会議の乗用車(長峰さん)で、沖縄県ひがし東村(ひがしそん)高江で予定されていたオスプレイ離着陸用のヘリパッド建設の阻止行動へ。東村から国頭村(くにがみそん)にまたがる米軍北部訓練場のN1ゲート裏のテントまで送ってもらった。10時過ぎに到着…。
県と国との「辺野古新基地建設」和解が3月に成立し、いったん国による辺野古の基地建設工事は停止した。ちょうどその時期の7月11日、米軍北部訓練場返還の条件として、新しく配備されるオスプレイの離着陸用にヘリパッド建設工事が東村高江で再開されることになった。

機動隊500人動員

工事のスムーズな実現のため、沖縄県公安委員会は市民による反対行動を阻止するよう、内地5府県から機動隊員500名を高江の工事現場に派遣することを要請した。7月18日以降、順次約500名の機動隊員が現場に到着した。
ヘリパッド建設のためには、北部訓練場内の樹木を広範囲に伐採する必要があり、同時に建設現場に機材を搬送する簡易道路建設も必要だった。 阻止行動は、県道から基地内への機材搬入を阻止するグループと、基地内の「けものみち」や「やぶこぎ」した道を通って伐採現場に行き、作業中止を訴えるグループの二つに分かれていた。
伐採現場に向かうグループの基地はN1裏テントに造られていた。警備の機動隊の裏をかくように伐採現場に向かうルートは、ベトナム戦争の民族解放戦線さながらに、何本も作られた。もともと北部訓練場は、米軍がベトナム戦争用に造成した訓練場だった。

午前4時から準備

N1裏テントでは、毎早朝4時30分に炊飯器のスイッチを入れる。伐採現場に向かう阻止抗議班の昼食のおにぎり作り(50~60個)だ。泊まり込みの阻止抗議班の朝食と夕食も準備する。
7時30分頃にミーティングを開始、毎朝20~25人が伐採現場に向かう。テントの横から伸びる尾根道を下り、谷川を遡行し小高い尾根を登り、40~50分でやっと建設現場に到着する。機動隊が到着するまで、作業員に伐採をやめるように訴える。チェンソー伐採は危険なので、私たちが近づくと一時的に作業員の手は止まる。20~30分すると機動隊が現場に到着し、規制が始まる。私たちは周辺に散らばって、「伐採をやめなさい」「戦争のためのヘリパッドはいらない」と声を張り上げる。

ある防衛局職員

抗議行動で周辺から抗議の声をあげていた時のこと。ふだんは、マスク・サングラスで顔を隠している防衛局の職員が、その日は一切顔を隠さず見守っていた。私が「沖縄にはあまりにも多くの米軍基地があるよね。これ以上の基地を沖縄の人々が望まないのは当たり前だよね」と話すと、彼は「そうですね」と答えた。
続けて、沖縄戦の体験者で辺野古の新基地反対基地反対運動を続けている島袋文子おばあの「これまで沖縄の米軍基地は、私たちが反対することもできないうちに作られていた。今回の辺野古新基地建設は、私たちの目の前でつくられようとしている。私は、子や孫のために絶対阻止すると決意を固めている」という言葉を伝えたが、彼はそれをじっと聞いていた。
上司らしき人物が現れたので、「話を聞いてくれてありがとう」と言って別れた。一瞬の出来事だったため、防衛局の職員としての彼の真意を測ることはできないが、やはり静かに聞いてくれた彼との出会いを大切にしたい。一方で次々に伐採され、うずたかく積み上げられていく樹木の姿に悲しみを禁じ得なかった。(住田一郎)