傍聴席から拍手わく

 7月3日の最高裁大法廷による旧優生保護法(以下、旧法)を違憲とし原告にたいする損害賠償を国に命じる原告全面勝訴判決は15人の裁判官の一致のよるものだった。150の席を埋めた傍聴者から一斉に拍手がわき起こり裁判所はそれを制止しなかった。判決後衆議院第一議員会館で開かれた報告集会は全面勝訴の歓喜と国家の行ってきた暴虐への怨嗟に満ちあふれた。
 判決は旧法が憲法13条(個人の尊重)、14条(法の下の平等)に違反し「48年間の長きにわたり国家の政策として特定の疾病や障害を持つ人らを差別し、不妊手術を積極的に推進し、その結果少なくとも約2万5千人以上が生殖能力を失う重大な被害が生じた」と明示した。国側が固執した「除斥期間により請求は無効」との抗弁についても「信義に反し権利の乱用」と断じた。
 私は障がい当事者として、この裁判について大阪地裁の傍聴、東京・日比谷野音の全国集会に参加してきた。今回の判決を優生思想を打ち破る歴史的な判決ととらえている。

 以下は原告の言葉から。
 97年に最初に被害を名乗り出た飯塚淳子さん(仮名)「優生手術は私から結婚や子どもというささやかな夢を全て奪いました。最高裁でいい判決が出て、やっと希望の光が見えてきましたが、でも私の人生は返ってきません」。
 小島喜久夫さん「どんな判決でも私たちの人生は元には戻りません。せめて国が間違っていたことを認めてください。もう二度とこのようなことがないようにお願いします」。
 北三郎さん(仮名)「判決を聞いた後も、まだ心が晴れません。子どもを産む、産まないは人から決められることではありません。自分のことを自分で決められる社会になることを願っっています」。
 尾上敬子?一孝さん「私たちはお母さんを恨んでいたけれど国が悪かったということが今日はっきり分かりました。国は謝罪してください」。
 判決を受けて7月17日、首相岸田は関係閣僚や厚労省担当者と共に原告と支援者への政府としての謝罪の面会を行った。しかしそれは日本国の犯してきた旧法による「不要な生命の排除抹殺」を真に反省し詫びたものだろうか。最高裁判決が下されるその時まで国は「当時は合法だった」などと抗弁を続け請求の拒否を言い続けていたのだ。

被害者が伝える真実

 先の飯塚さんは中学生当時に病院で何の説明もなく手術された。今に至る迄その記録は公的に開示されていない。
 小島さんは若い頃帰宅を待ち構えていた警察官に手錠をかけられ精神病院に連行された。雑居房で同房者から「子どもができなくなる手術をされるらしい」と聞き看護師に尋ねると「当たり前でしょ。精神病の障害者だし。手術します」と言われた。医師の診断もなく数人がかりで抑えつけられ手術された。
 北さんは10代の頃、施設の職員に「悪いところを取るから」とだけ言われ病院に行った。手術の一ヵ月後先輩から「子どもを作れなくする手術だ」と聞く。
 野村花子?太郎さん(仮名)。ろう者の夫妻。74年花子さんは出産のとき帝王切開の手術を受けたがその後生理がなくなった。数十年を経る中で優生保護法による手術のことを知り、自分たちも帝王切開の際に不妊手術をされたと察する。「とにかく悔しい。そのままの体にしといてほしかった。そんな手術、勝手にされたら怒るでしょ誰だって。子どもが亡くなったことは仕方ないにしても、そんな法律おかしい。差別や、賠償したら済むという問題ではない」。
 原告たちの幾つかのこのような言葉だけからも旧法の下で強制不妊手術がどのように行なわれていたか浮かびあがる。その多くは「強制」と呼ぶのもはばかる様なものだった。
 旧法は第一条に「不良な子孫の出生を防止する」と目的を掲げ、そのための不妊手術は形式上まず第3条では「本人及び配偶者の同意」によると挙げたうえで続く第4条で「審査を要件とする優生手術」つまり強制手術を規定している。しかも法運用についての厚生省(当時)の通知には拘束や欺罔(だますこと)も許されるとしていたのだ。

障害者、人民全ての闘い

 この裁判の原告の過半はろう者と知的しょうがい者である。障害者とのコミュニケーションの保証への努力もしないまま「通告」もせず手術を行っていたということだ。
 野村さんのように帝王切開の際に無断で不妊手術が行われたケースも多い。その中で体調を侵され短命に終わった人もある。全国で39人の原告のうち6人が裁判の5年余りの過程で故人になっている。
 多数のハンセン病者も不妊手術をされたがこの裁判の原告として公表されていない。患者たちは20世紀初め頃から法的強制的に療養所に隔離される中で収容者同士の結婚は推奨されていく(外部との遮断のためだった)が、それには不妊手術を受けることが前提とされた。それは正に強要されての事だが「本人の同意による」とされ優生手術への損害賠償を訴えるのは極めて難しいのだ。しかし一方で熊本の「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」は2001年に勝訴が確定している。
 旧法は戦時下の国民優生法の骨格を引き継いで1948年に成立したが、らい予防法や精神衛生法も50年代に同様に戦前からの各法の改訂(改悪)として制定され戦後の優生政策、「価値なき生命の排除抹殺」が「合法的」に続けられてきたのだ。私たちは人間の尊厳を取り戻すたたかいを今からあらためて始めようではないか。

たたかいは続いてる

 7・3最高裁判決の前に2019年に作られた一時金支給法はもはや無効である。7月31日に東京地裁で西スミ子さん(77)の旧法違憲?損害賠償請求訴訟の和解が成立した。西さんは13歳の頃「生理をなくす手術」を受けさせられたが「子どもができなくなるなんて思ってもいなかった」。一時金支給法にも「私の苦しみや子宮の値段は320万円なのか」と納得できず提訴し国家賠償請求訴訟に加わったという。7・3最高裁判決後初の和解である。
 たたかいは続く。(2024年8月20日記)